大相撲は元々キックボクシングだった? | ケビン・クローンオフィシャルブログ「ここが変だよ!! 日本人」powered by アメブロ

大相撲は元々キックボクシングだった?

蹴手繰り(けたぐり)という決まり手

現代の大相撲にも見られますが、

古代れていた相撲がキック

ボクシングに近かったことは

日本書紀に登場する

当麻蹴速(たいまのけはや)

VS

野見宿禰(のみすくね)の一番に

見られます。


垂仁天皇の前で対戦した出雲国の

野見宿禰と当麻の当麻蹴速は

お互いを蹴り合った後に、宿禰が

蹴速の腰を踏み折って死亡させた

とされています。蹴り下ろしは現在

の総合格闘技に見られる技ですが、

勝者の宿禰は当麻の土地を賞与

されたとされています。


ある番組でこのことを言いたかった

ですが、うまく言えませんでした。

トホホ。(´д`lll)


500年以上形を変えずに存在し

つづけているムエタイと、同じ

キックボクシングから出発して、

現在のような形に収束した相撲

は、どのような合理的違いが

あるのでしょうか?


同じ興行でも、あからさまなギャンブル

として成長したムエタイはなかなか勝敗

が決まらないことを善しとする一方、

神事から国技という枠組みを維持して

きた相撲は力士たちをヘビー級化する

ことで短期決着を目指したのです。

結果、ヘビー級だらけになった相撲は

天皇や封建領主たちにとって、地元の

ヘビー級をリクルートできる合理的な、

格闘技の「科挙」のような手段となって

行ったのです。ペリー来航の折、幕府

が身長で上回るアメリカ人を威圧する

ために力士を行進させた話はあまりに

有名です。


粘り強さを大切にするタイの国民性

は現在のタクシン派と反対派の終わり

なき、綱引きにも見られます


一方、日本は一気に咲き乱れ、さっと

散る桜の美学が相撲を短期決着型へ

導いたのではないでしょうか