お金の作り方②
経済の主人公の一つである通貨
(流通貨幣)とはいったい何なのか?
これについて改めて再考して
参りたいと思います。
以前、このブログでこう書きました。
「経済とは略奪である」
そもそも経済は資源の略奪から
始まりました。でも、これは生命
活動の本質でもあったのです。
人類の経済は
=>自然からの略奪。
=>他人からの略奪。
=>家畜からの搾取。
=>労働者の搾取。
へと進化を続けました。
そもそも、生物における
食物連鎖という市場には
三つのビジネスモデル
しか成り立ちません。
①略奪
②搾取
③共生
略奪や搾取は被害者になる
個体にしてみればエントロピー
(無秩序)そのものであります。
しかし、生態系という市場全体
から見れば、均衡がとれている限り、
エントロピーはそこに存在しません。
食物連鎖における①も②も、生態系
という市場においては③共生に含ま
れると考えるわけです。ここであえて
④分配も加えるならば、それは同種間、
近親間のみにおきる③共生の一種と
なります。
とはいえ、人類の生態系たる経済社会
における経済的行為も本質的には略奪
と搾取がその原点にあり、それが過剰に
なればエントロピーは増大し、公益は
損なわれるわけです。
つまり、経済は本質的に性悪説における
性悪=エントロピー増大を内包しており、
均衡を欠けば悪そのものになるという訳です。
すなわち市場には「神の手を汚す人の手」
ともいうべき、自然な価格決定を阻害する
営業・交渉・契約・汚職・詐欺・縁故という
魔物すなわち情報の非対称性が潜んでおり、
それが積もり積もったときエントロピーは増大
し、様々な破綻を経済社会にもたらすのです。
を「共生」と「分配」という戦略に転じたことに
より、人類は他生物の生態系とは独立した
独自の生態系=市場を形成し、エントロピー
の逓減に成功してきました。しかし、逓減され
たエントロピーは外部に放出され、環境問題
をつくり出します。
そして、人類がその生態系を共生と分配に
シフトしたとき「評価」という行為が誕生しま
した。「経済とは評価である」という以前から
の主張は通貨のもつ利便性へとつながります。
通貨とはこの評価の尺度だったわけです。
...つづく