聖徳太子は女性を見抜いていた
女性間競争が激しい社会は、
必然性をもって、男女問わず、
熾烈な競争社会となります。
「あたしビトンのバッグを買ってもらったわ」
「わたしなんかエルメスをもらったのよ」など
の会話をしていた女子大生が主婦になれば、
「うちの子は慶応の幼稚舎に入ったわ」
「あら、うちのは学芸大付属だわ」という
代理戦争を子供たちに果していたわけです。
ヨーロッパには未だ残る身分制度を日本は
敗戦後、完全に捨て去ってしまいました。
競争社会に生きる女性たちが、すぐに
飛びついたのは偏差値による身分制度
だったのです。つまり、偏差値差別が官僚
天国をつくりあげてきたわけです。
古来より、日本人は競争社会にあり、
競争が激しいからこそ、より、調和が
求められたのです。これは本質的に
無礼だからこそ、敬語が体系化され、
下克上が多いからこそ、年功序列を
国是としたことと同じカラクリなのです。
聖徳太子が発布した17条憲法は
元来、役人・貴族のためのルール
でしたが、やがて「文化の天下り」
によって、一般庶民のトレンドとして
浸透して行き、日本人のエトスethos
(行動様式)となっていったのであります。
この中でも有名な「和の精神」は
日本国内においては抑圧と監視
というシステムによって機能し、
日本人の行動を制御してきたのです。
「和の精神」には一種のカバーエリア
があり、一歩でも日本を出てしまうと、
途端にその効力が薄まりだします。
しかるに日本人は競争心をそのまま
具有しているため、海外において
日本人同士は激しい近親嫌悪・憎悪
を抱いてしまうこともあるのです。
...つづく