ピアノにおけるドーナツ現象
クラシック音楽はグスタフ・マーラー
あたりから現代音楽へと変貌を遂げ、
景観や情緒の細かい描写よりも、
抽象的な世界観をより表現するよう
になったと思っていました。
現代音楽を創作、演奏する
クラシックピアノの悲劇は、
その守ろうとする領域が、
楽器の進化や音源の多様化
によって日増しに狭くなっている
ところです。
ちょうどカメラの出現が写実主義を
破壊してしまったように、ピアノが
抽象的な世界を表現しようとすれば
するほど、その音源、音色の少なさが
ピアノを狭い世界へ追いやって
しまい本来の良さを失わせてしまいます。
ジャズやロックやポップスなどが、
領域を拡大する中で現代音楽を
演じるピアノはますます領域を
縮小せざるを得ず、狭い世界の中に
閉じ込められていってしまいます。
かつてシンフォニーは一本の映画でした。
交響楽は映像のない映画だったのです。
今でも目を閉じれば一本の映画です。
しかし、映像の出現により、
その役割は主役より目だっては
いけない映画音楽へと変貌して
しまいました。
領域の狭くなってしまった現代音楽を
演奏するピアノは映像とコラボすることに
より、きっとその息を吹き返すことでしょう。