議院内閣制の限界 | ケビン・クローンオフィシャルブログ「ここが変だよ!! 日本人」powered by アメブロ

議院内閣制の限界

国会議員のことをアメリカでは
Law Maker法律を作る職人即ち
立法官と呼びます。役人は行政
に特化し、法案づくりは政治家の
仕事となっていたわけです。
これについてはまた書きます。



完璧な政治システムというもの
はどの国にも見当たりません。
しかし民主主義であることと
自由主義経済であることは理想
国家の大前提にあります。
この二つを合成すると所得格差
がなくなるというのはいわゆる
合成の誤謬で機会の均等は自然
淘汰を意味し、権利の主張は、
義務を要請します。自由である
ことはその分、規律も意味する
わけですね。



帝政、君主制による封建社会の
反省に立った民主主義は権力の
集中を防ぐため、国家権力の内、
三権を分散させ、お互いが監視
しあう仕組みを作り出しました。
これが三権分立です。民主主義
標榜する日本国憲法も三権分立
を採用しておりますが、実際の
ところ三権は正三角形ではなく
限りなく二角形に近いいびつな
形の議院内閣制になっています。



議員内閣制は原則として...
①行政と議会の分離。そして、
②内閣(政府)が議会に責任を
負うシステムです。ここまでは
問題ありません。しかるに、憲法

68条の国務大臣はその過半数

を国会議員の中から選ばなけれ

ばならない。という規定が政府と

議会のM&Aが起こしてしまって

いるのです。この事で行政と立法

は一つになり突出してしまう為、

司法とのバランスがとれない訳です。

この時点で既に三権の等しい分立

はもはや成立できなくなります。



さらに議会の大多数を特定政党
が占めれば、それだけで自動的
に議会と政府の両者を一党が独
占することになり党に異常な権
力が集中することになります。

日本式議院内閣制におけるこの
いびつな構図は、かつて内閣や
軍部が暴走した太平洋戦争時代
の反省に立っており、そのときの

トラウマが議会の強化即ち憲法
41条の国会は国権の最高機関
という表記につながっていたわけ
です。しかるに憲法68条の存在
と特定政党の多数議席獲得によ
って民主主義の原則は破られて
しまったのです。



イギリスの議院内閣制はそもそも
憲法というものが存在しないため、
慣習に従いつつ、首相が強力なる
リーダーシップを発揮できます。

世界で最も古い近代民主主義であり
ながら、イギリス政治は未だに

生成過程にあったわけです。

因みにイギリスで総理大臣という

役職が正式に成文化されたのは

実に1937年のことでした。
イギリス政治は不文律で自由度の

高い議院内閣制だからこそ形を

いかようにも変えられる、進化する

民主主義なのであります。しかし、

その一方で、最高裁判事を貴族院

議員が兼務してしまう司法と立法の

M&Aもそこにありました。



二世議員が4連ちゃんで首相になれる
日本の議院内閣制は、むしろイギリス
を見習い、世襲議員を全員参議院に
移し変え、イギリス貴族院に相当する

参議院と民意を直接反映する衆議院

の二院制にもどした方がわかりやすい

かもしれません。地盤、看板、かばんを

引き継ぐということは、その土地の名士

であり、すでに貴族のようなものである

ことに他ならないからです


いかがでしょう?小泉さん!