日本人というビジネスモデル
Adam Smith
人はその人生についてビジネスモデルを考え
る時期に出くわすことがあります。就活、受験
、転職などの機会で自分は何が得意なのか?
何が好きで?現実社会(市場)で実際に何が
できて、将来、どんな展望を描けるのか?
競争相手は誰で、どうすれば生き残れるか?
以前ご紹介したSWOTスヲット分析をしながら
ビジネスモデルをつくっていく必要が皆あった
わけです。実のところすべての生物は個々に
ビジネスモデルを持ち合わせており、種レベル
どころか個体レベルで生活圏や生活スタイル
が多数存在し、進化論という名の市場経済の
元、自然淘汰される宿命にすべてあった訳です。
企業に限らず、国家や民族にも、それぞれの
ビジネスモデルは存在しますが、天下国家を
論じる段階になると何ゆえか一つのビジネス
モデルの破綻が、国家の死や民族の死に相当
するたぐいの議論が登場してきます。たとえば、
欧米文化に侵食されて、日本人の良さが失わ
れてしまう類いの「国家の品格」的論調は日本
のビジネスモデルをまったく理解していない、
生物学における弱肉強食と自然淘汰を完全に
混同している大いなる勘違いだったのです。
Charles Darwin
まずは、生物学のお話から行きましょう。
弱肉強食と自然淘汰を全く同じ意味で捉える
方は多いようですが、これは間違いです。
そもそも弱肉強食The Law of the Jungleは、
食物連鎖Food chainの一部を構成しており、
生態系の安定に貢献する自然界の調和その
ものを表します。だからこそ地球は安定した
環境において一定量の食物を捕食者に提供し
続けていたのです。このバランスが崩されれば
地球上の生命全体にとって大いなる危機に
発展する可能性もあったわけです。地球が今
これに対して自然淘汰natural selectionは、
進化(または最適化)evolutionの一部であり、
環境の変化によってもたらされる生態系の
大いなる変化変貌を指します。わかり易い
例は環境の急速な変化によって絶滅した恐竜
たちです。でも、爬虫類たちはその後、小型化
というビジネスモデルに乗り換えたり、鳥類に
進化することで生き延びて来たわけです。
日本人を論ずる際、見過ごしてならないのは、
日本人というビジネスモデルそのものです。
わかりやすい好例は日本語の成り立ちですね。
以前も述べましたが日本語は外来語の集大成。
乏しい資源のみならず、ことばも輸入に頼って
来たという史実が日本史にはあったわけです。
全く異質なものを難なく取り入れて、独自性を
持たせて新たなものに進化させていく...。
これが日本人のビジネスモデルだった訳です。
仏教を取り入れたときも、欧米化や近代化を
成し遂げた際も、抵抗勢力はありました。
しかし、取り入れたあと急速に進歩したのが
日本人だったのです。
自然淘汰はビジネスモデルの変更であり、
淘汰されるのは古いビジネスモデルです。
でも日本の国体や精神が淘汰されることは
ありません。なぜならばビジネスモデルを
七変化させること自体が日本人のビジネス
モデルだったからです。
*ただし日本がアジア諸国で蒔いた惨禍
(皇民化政策etc)が完全なる欧米コピーの
結果なのかは議論の分かれるところです。




