言霊の逆襲 | ケビン・クローンオフィシャルブログ「ここが変だよ!! 日本人」powered by アメブロ

言霊の逆襲

日本語は外来語の集まりですが、その中で最も多くの
割合を占めるのが中国語です。約1500年前、文字という
大量記憶装置が中国から入ってきて日本人は卓抜な
記憶力と引き換えに漢字文明を手にしました。暗記を
しなくても、メモることができるようになったのです。




大和朝廷の成立過程で貴族、役人たる男子は中国語である
漢字を読み書きし、中国語の一方言を話していたわけです。
日本語が中国語の亜流派である証拠に、このブログから
漢字を消して読んでみてください。意味が通じますか?
しかも平仮名・片仮名も実は漢字から生まれているんです。
だから中国語がなければ、このブログは完全なる白紙
状態になってしまう始末なのです。




最初になだれ込んで来た外来語たる中国語は

国家の屋台骨であるインフラ(社会基盤)や法令を

つくるための説明書や解説書であり、文化や宗教などの

ソフトパワーもこの漢字によってもたらされたのでありました。

それまでの日本は言霊と音だけの世界。

日本人は情報伝達を暗記暗誦に頼っていたのでした。




あらゆる文明の利器とともに中国語が流入し、

日本人は中国語を使うようになっていきました。

それでも日本はけっして中国になりませんでした。

第二次世界大戦後、連合国に占領され、
米軍が駐留しても、日本語を失わなかった日本。
しばらくすると「言霊の逆襲」がはじまったのです。




倭語は中国文字を「当て字」にすることを思いつきます。
文字一つ一つに意味がある表意文字ideogramの漢字を
表音文字phonogramとして利用することで倭語のalphabet
アルファベットを作ってしまったのです。
これが万葉仮名というヤツです。
暴走族がよくやっている「夜労四苦」や「童理異夢
などがそれです。



音でしか存在しなかった倭語。

例えば「こひ」=恋という言葉に漢字の「古比」を

あててみたり、「ころも」=衣を「乙呂母」、

「こども」=「古等母」、「こころ」=「己己呂」

などと表記し、発話を文字に変えていきました。

このとき音だけでなく、意味の一致も同時に

目指し、それが知的ゲームとなり、
今にみる駄洒落文化につながっていったのでしょう。





そのうち漢字は中国語読み=音読みと倭語読み=訓読みの
二つの性質を持つようになります。訓読みは「山」を
「やま」と読み「川」を「かわ」と読みますが、音読みは
「山」を「サン」と読み、「川」を「セン」と読みますね。
工夫を進め訓読みと音読みを組み合わせて音世界を
さらに広げていきました。これが重箱読み、湯桶読みです。
音訓両方使うことで日本独自の固有名詞や人名に
漢字をあてることができました。山上憶良、吉備真備、
石原慎太郎などの名前が可能になったわけです。




19世紀に入ると欧米語を漢字で表現し、club=倶楽部、
coffee=珈琲と表記して、やがて英語版の重箱湯桶読みが
つぎつぎと生み出されていきました。「芸能プロダクション
は湯桶読み、「サービス残業」は重箱読み、こうして
日本人は変グリッシュをつくっていくのでありました。


次回「ルー大柴と国風文化