美人コンテストにはなぜ美人がいないか? | ケビン・クローンオフィシャルブログ「ここが変だよ!! 日本人」powered by アメブロ

美人コンテストにはなぜ美人がいないか?

ホンモノがニセモノにとって代わられ
やがて、ニセモノだらけになる法則を
難しいことばで条件最適化逓減の法則
fallacy of conditional optimization
とぼくは呼んでいます。


OnonoKomachi 


食品偽装などは、この法則が働きすぎて
違法行為にまで及んでしまったケース。
実は世の中見渡すとこれだらけなんです。

たとえば美人コンテストに本当の美人が
いないのは、まず、美人の定義付けが
はっきりしていないからなんです。
何が美人なのか、はっきりしないと
誰が美人なのか、わからないわけです。
男から人気があることが美人なのか?
女から人気があることが美人なのか?
キャリアウーマンが美人なのか?
早く結婚できることが美人なのか?
では、その人がすぐ離婚したら
美人ではなくなるのか?美人は



Three Beauties by Hokusai


定義域と条件でころころ変わるわけです。

顔立ちが黄金比に近いことが美人ならば、
数値化できるので比較的、楽に勝敗を
決められます。でも、美容整形した場合
はどうなのか?スポーツ選手がステロイド
投与するに匹敵する違反行為なのか?
なんとなれば整形美人コンテストや

非整形美人コンテストというあたらしい

ジャンルをつくるべきなのかもしれません。



Monalisa by Da Vinci


どんなものでも何か仕組みをつくるとき、
必ず、そこに定義域や条件を決めていく

必要があります。しかし、ここに魔物が潜んで
いたのです。この魔物を条件最適化といいます。
わかりやすい例は選挙です。
理想的な政治家の条件は本来...


1指導力
2人気
3政策立案能力


などだったりしますが、選挙と投票という
システムをつくると、システム自体が本来の
政治家のあるべき姿を変更してしまいます。


1地盤(組織票)
2看板(派閥)
3かばん(選挙資金)


俗にいう「3ばん」という条件最適化が
そのシステム条件に最適化した人物を
当選させてしまうわけです。そのため、
政治家が政治屋にとって代わり、
悪政と腐敗がこの国を覆い尽すわけですね。




もう一つ例をあげましょう。
文科省は高校教育に数Ⅰの履修を最低限
要請していますが、大学受験という仕組みに
私立文系という三教科合格の条件を与えて
しまうと英語、国語、社会だけを三年間
マジメにやる分数計算すらできない大学生

量産するようになってしまうわけです。




ですから、美人コンテストにおいて、
条件を与えれば過剰に最適化して
整形美人やら縁故関係美人が
登場

しきて本当の美人はいなくなる
条件を与えなければ誰が美人だか
わからなくなってしまう訳なんです。


すこしわかりやすくしました!大丈夫ですか?

今夜の太田総理はフットボールアワー

とのやりとりが見れるかもしれません。