「悪」の正体はエントロピーだった
人間は生来、「善」であるか、「悪」であるか
という命題で有名なのは...
孔子の弟子にあたる儒家のお二人。
性善説inherently goodを唱えた孟子と
その数十年後に登場した
性悪説inherently evilの荀子です。
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日本人のいう「渡る世間は鬼ばかり」
や「人を見たら泥棒と思え」の考えは
イエスキリストが生まれる約300年前に
活躍した荀子の性悪説に由来する
ようですが、荀子の時代でいう「悪」は
悪徳というよりは人間の持つ自然な
欲望を指していたとされています。
さらに、性悪説をキリスト教の原罪
「人間は失楽園から罪を背負っている」
と同列に扱うことに批判的な議論 も数多くあります
そもそも「悪とはなんぞや?」という
抽象議論は解釈次第でいく通りも
説/異説を唱えることできるため、
これを論じること自体、ある意味、
不毛なことなのではないでしょうか?
ならば、改めて「悪」とはいったい何でしょう?
ちょっと角度を変えてみましょう。
今まさに食べられそうになっている鹿にとって
襲いかかる虎は、鹿の存在そのものを否定する存在です。
鹿は草を食べて存在し続けることを快く、是としているので、
その存在存続を真っ向から否定する虎は実に脅威であり、
恐怖であり、忌避すべき存在すなわち「悪」となるわけです。
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ただし鹿に食べられていた草花も
同時に全く同じ立場にあります。
草花は鹿によってその存在と存続を
完全否定されていたわけです。
(受粉作用などはこの場合度外視)
だから存在や存続の否定は「悪」ですが、
同時にそれは相対的なものでもあるのです。
つまり、とる立場によってまったく同じ事柄が
「善」と「悪」どちらもとりうるということです。
もちろん原理主義テロリストとアメリカ政府の関係も、
このアナロジー(相似形)が当てはまります。
「善」と「悪」を「存在」とそれを「否定」するもの
の関係に区分してしまうと食物連鎖や弱肉強食は
相対論に陥り、矛盾が生じてきます。
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そもそも地球上に生命が誕生し、
生物同士が捕食活動をはじめた瞬間から
矛盾と不条理(悲しみ)はそこにあったわけです。
しかし、それがなければ(°Д°;≡°Д°;)
生命の多様性や進化もなかったことになります。
果たして、相対論に陥らないで「善」と「悪」を
再定義できるものでしょうか?
すべての生命や社会にとって最も忌避されるものは何か?
それはエントロピー(無秩序と乱雑さの値entropy)です。
<物質レベルすなわち意思の介在しない場合は次回>