色々思いがあって長めです。

わたしがまだ逆単身赴任で残ってます


離れて3ヶ月。子どもたちは別れた友達たちと会えるので本当に楽しみにしてました。

妻は付添なので、懐かしいけど、楽しみはそんなに無い、と。
でも、街中を歩いていて、すぐに知り合いに会うので、ポツリと
私のふるさとになってしまってるわ!

といってました。
転勤で新婚2年目に夫婦二人で引っ越してきたとき、予想外の転勤でがっくりした私、そしてそれに付いて行くしかなかった妻。妻はその日から子供が生まれる一年間の間毎日泣いてました。
私は、こんな思いも将来いい思い出になるから、がんばろう、と励ますしかなかった。
子供が生まれ、忙しくなって少し落ち着きましたが、いつ大阪に帰れるのか、と質問が毎週末尋ねられ「2,3年のうちには」とごまかしていました。
二人目も生まれて、更に忙しくなり、だんだん落ち着いてきたんですが、それでも月に一度?は、同じモードに。10年を過ぎたあたりから、もうわからないので「定年まで転勤はないかも」と言うようになりました。その時はかなりのショックを受けたようでした。
でも気持ちは、
ならば自らの意思で大阪へ移る
タイミングを決めよう、
と切り替えたようです。
具体的には
上の子が中学に入る年にそれに合わせて引越し、です。そこが子どもたちのことも考えると唯一あるタイミングでした。
それが今年の春でした。
逆算して大阪近郊で土地を探し始めて、2年かけて今の土地に決めました。その前にいい土地があったんですが、家購入の踏ん切りつかず、諦めました。その時はずっと妻から何故決めてくれなかったか責められましたが、結果今のところがより駅チカ、安いという条件で見つかり、結果判断はよかったことに。
で、今に至ります。
大阪に遊びに行ったり、家の打ち合わせで行って、この土地に帰ってくると、妻は
あかん、なんか知らんけどほっとするわ!
とこの土地のインターチェンジで高速を下りたときよく車の中でつぶやいていたものです。
今はこの街を車で走ると、
「あのとき昼間一人で子供をバギーに乗せて押して散歩していた自分とすれ違うような気がする」(大丈夫?少し頭やられてるかも?)
と妻はつぶやいてます。
あのとき私が励ましたとおりに今なっていると
信じてます。
