私は人工知能に関する本を読んだとき、
2050年頃には
人間の知能を凌駕する
「シンギュラリティ」(技術的特異点)
が起こるという予想を読みました。



私の存在意義が
仕事と結び付いていたとすると、
その存在意義がなくなっていきます。
理由は、AIの方が仕事ができるからです。
例えば、
今の仕事はAIの方ができるから、
「あなたはいらない」と言われることに
自分の存在意義がないと考えることです。



なぜ私は見える形で自分を
捉えられていたのか?
AIに越えられてしまうものとして
自分をある一点でみることが
出来ていたのか、という謎です。



その謎を解くのに、
神経中心主義があるのではないか、
と私は本から考えました。
「『私』は脳ではない」
(マルクス・ガブリエル 2019)


神経中心主義とは、
私たちの精神生活は脳と同一視すること
ができ、したがって人間を
神経ネットワークに置き換えることが
できる、
という考え方です。
簡単に言えば、
「私」は脳であるという考え方です。
そこから、
AIが人を越えてしまうという発想が
おきてきます。


「私」が脳であり、それがあたかも
越えられたように感じるとどうなるか。
人間は機械に完全に隷属することに
なります。
サイバー独裁制というディストピア
が起こってくるのではないかと
本で語られていました。
①「AIが仕事を奪ったから機械を壊す!」
というような、
AI開発者をやっつけようとする思想。
②機械がすべて正しいという思想。
③機械に人の行動がすべて監視される。
などです。
さらに、
私を脳だけだと見たときに、
バーチャルリアリティによって映像だけ
見せられて、
ずっと寝たきりになっていても退屈して
いない未来、
ずっと寝ることができている未来にも
私は違和感を覚えました。


それは、
たくさんある思想の枠組みの中から、
私をただ一つの神経中心主義の
枠組みの中で捉えていたから
発生した思想だったんだ、
と気がつきました。
それを抜け出すための思想が、
「21世紀の哲学」になります。



私は、AIの発展を楽しみにしている
のですが、
と私がわかっていないのに、
「機械が先に解明するようになるの?」
という疑問がありました。
ただ、
神経中心主義は思っているより
私に根深くあるようです。





読んでいただいて
ありがとうございましたニコニコ