ブログを読んでいると、
様々な人の意見があることに
改めて気づかされますキョロキョロ

そんな中、
頭で考えるタイプという語を読み、
一般的な頭で考えるとは
どのようなことかを
考えましたうーん


そこで使っていた
頭で考えるタイプとは、
どうやら感情をあまり伴わずに、
論理的に考えることのようです真顔
私が過去のブログで書いた
三価値に当てはめて考えてみました。

①最大多数の最大幸福
②自由と権利
③美徳の追求


どうやら、頭で考えるタイプは
②の自由と権利に価値を置いて
考えることかなと思いました。

例えば、②で考えるとき、
考えるベースとして、
法律や基本的人権があります。
一人一人の個人に目を向けていて、
その個人が攻撃されると
不快な気持ちになってしまいます。
アンパンマンで言えば、
バイキンマンが毎回やられていること
を不快に思いますショック!パンチ!



一方、
これに反対する考え方は何か?
①の最大多数の最大幸福になります。

例えば、
バイキンマンは毎回悪いことを
しているから、
やられて当たり前という立場ですニコニコグッド!
頭で考えるタイプとは違って、
こちらは一般的には心で考える立場
かな、と思いました。


記事を読んでいると、
この2つの対立が多いと感じます。
私はどうやら、個人を攻撃している
場合に不快になってしまうことが
多いので、
②の自由と権利に立って考える
ことが多いのだと気がつきましたキョロキョロ


それでも思うのです。
②の立場に立って、
記事を読んで不快に思っているとき、
それは①の立場にもなっていることに。


一人の発した記事を読んで、
嫌だと思い読まなくなること。
嫌だなと思う人たちで
自分の心地よい意見の人たちで
固まること。
私の中で、最大多数の最大幸福を
作り出していることに気がつきました。


自分を肯定したくて、
自由と権利を追い求めていると、
どうやらその対立する立場に
なってしまうようです滝汗


「バイキンマンって可愛いよね!
どうして攻撃するんだろう。
攻撃するのひどい!
攻撃反対の団体を作ろうよ!日本国旗
という感じに違和感を
感じ出すことです。

なので私は、どちらの見方をしても、
自分の気持ちが落ち込むことに
気がつきました。


では、どの立場を私がとろうと
しているかと言うと、
その2対立が嫌になってしまったとき、
③の美徳の追求に価値をおけば
いいんだ、と思いました💡

「バイキンマンは、人に暴力を
奮っていたときは酷いよね。
でも、ハーモニカマンを助けようと
していたとき、いいやつに
なっていたよね。
それがバイキンマンだよねニヤリ
と、肯定する立場です。
暴力をしないと、バイキンマンは
自分のいけないことに気がつけなかった。
「バイキンマンだって、
酷いことをされてなければ、
そんな暴力はふるわなかったんじゃない?」
と、考え出す立場です。
バイキンマン自身を見つめる立場です。


私は自閉症スぺクトラム(ASD)傾向が
あって、自己肯定感が
育っていない面があります。

そんな私は①と②の対立で否定を
生み出すことに、
疲れてしまうことがあります。
そして、否定する側で
意見を聞くこともあるけれど、
根本では否定されたくないなと
思っています。
「こんな考え方もあるんだ!
おもしろい。」
という①②③を取り入れられる
見方を出来ればいいなと
思いますニコニコ


この③の美徳の追求は、
哲学的思考な立場でもあります。
私は哲学とは何か、といわれたとき、
「自己肯定」
と答えていた時期があります。
他者を受け入れて、
自分の世界が広がればいいなと
思います照れ



読んでいただいて
ありがとうございましたニコニコ