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between two stools

between real and fake

反省といってもマイナスのこととは限らない。翻って省みる、過去の出来事を見つめ直すことだ。


昨日は飲み会のための飲み会をした。つまりノーテーマの会合。だからこそ不確定要素が多く自由度が高いわけだが、やはりそのような会は自分は苦手らしかった。


自分の話したいことは山ほどあるはずなのに、それを出すべきか適切がどうかが判断できない。そのため言葉につまる。そうすると誰かが話題を提供する。その話題で、たとえば30分くらいは話すことはできる。しかしこれは自分がしたいことなのだろうか、ということを話しながらも考えてしまうから、その心の声がノイズになって集中できない。集中できない飲み会を俺はなぜ開催しているんだろう、と考えてしまってそれがさらにノイズになる、のエンドレスモードに入り込む。


その点、テーマのある会合は好きだ。何かの打ち上げ。何かの集まりの後の飲み会。誰かの壮行会、歓迎会。ジャズでいうところの「theme」(まさしくテーマ)が常に裏に流れている状態。迷ったら(ロストしたら)、テーマを思い出してそこから展開すればいい。語るべきことはそこにある。


テーマのない飲み会は、ジャズで対比するとフリーインプロに該当するのかもしれないが、インプロでも実は共通目的がある。それはそのバンドやメンバーの共通認識にもよるが、「何か美しいものを出現させたい」「素直な声を吐き出して混ぜ合わせたい」とかそういう音楽としての志向性である。

飲み会はどうなのだろう。「楽しい場を作りたい」。それは広い意味ではそうなのだろうが、楽しいものは人によって違い過ぎる(先の例でいう「美しいもの」も人によって違うかもしれないが、美は客観的評価たりうると私は思うので、やはり明確に違う)。自分にとって楽しい場は、それこそ「素直な声が吐き出されて交わっている」場所だ。それぞれがそれぞれに忖度したり、ポジションを考えたりしないで本当のことを言っている状態。ところがそんなもの望んでいない人のほうが多分多いのだと思う。


結果的に、自分が本当に仲良くなる人たちは、その人といると意図せずにそういう場ができあがってしまう、という人たちだったと思う。


一方でその逆の方向性もある。言葉で語るような本音どころではない、カオスをもたらしてくれる人がいて、自分はその対処に追われている、その状態がランナーズハイをもたらして自分もカオスに取り込まれていくような会合。これはこれで、そこに真実があるような気もしてしまうのだ。


反省のつもりが論を述べてしまった。


やっぱり昨日は昨日でどうしようもなかったきもするし、ベストは尽くしたし、それなりには楽しかったかな。


今日は久しぶりのリーダーライブ。

クローズドな企画や双頭リーダーライブを除くと,2年ぶりだ。

サイドメンやメンバーとしてライブをするのと,リーダーライブをするのは自分にとって全く別のことである。

本気で演奏に取り組むという点は同じである(し,そうでなければならない)とすると,一体何が違うのだろう。

 

実感レベルの話からしていくと,リーダーライブが近づくにつれて,自分はハイとロウが極端になっていく。メンタルの話である。要は躁鬱状態である。その度合いは,ライブが近づくほど強くなる。

「めちゃくちゃ楽しみ」と,「早く終わりたい(なんで企画しちゃったんだろ?)」を頻繁に行き来するのである。これは非常にしんどい。

もちろんライブに向けて準備をし,練習をしていくなかで,あれもやってみよう,これもやってやろう,と考えていくとハイのほうに気持ちは向いていく。しかし,ふと油断すると,「で,これやって一体誰が喜ぶん?」「自分は楽しいかもしれないけど,わざわざお金を払って聞いてもらうほどか?」の声も強くなってくるのである。

 

自分には,理想とするプレイがいつも頭にはある。その理想の形は日々変わっていくが,ライブを企画していて理想がない状態というのはおそらくない。だから,ライブが決まると,自分の理想形に近い尊敬するミュージシャンの演奏を聞き込む,ということをしてしまうのである。

このことは,模倣に陥る可能性も秘めているが,ジャズは過去の演奏からの模倣で発展してきたのであって(というか文化一般はだいたいそうであろうから),必ずしも悪いことではないだろう。

 

しかし,理想形が強く頭にある状態で,練習をして,それを客観的に聞いてしまったとき,「確かにそういうのが好きなのはわかるけど,超えてはいないじゃん」「だったらその人の演奏を聞けばいいじゃん」の声が聞こえてくるのである!!

自分は自分で発しているこの心の声に,簡単にダメージを受けるのである。

 

今,こうして書いているとまたもやロウに落ちていくので,この思考をトレースするのはとりあえずやめておこうと思う。

 

ジャズという分野にある種の特有の問題があるような気はしている。

オリジナル曲で歌(テーマ)そのものを聞かせる音楽であれば,ここまで他者との比較という問題に陥りにいくい気がするのだ。異論は認めます。

ジャズという即興演奏を中心という音楽の場合は,スタンダード曲ならば当然,またオリジナル曲であっても,ある程度のフォーマットの共通性というのは否定できないのであって,その中でどこまで力が発揮できるか(発揮できる実力を持っているか)という軸が生まれてしまうのである。

 

これを打破するには,自分が演奏している,ということそのものに価値を見出せるかどうかにかかってくるのである。

 

 

 

 

と,いつもこんな感じで,ライブ前は「ぐるぐる思考」に陥る。

しかも,こんな話はライブ前にメンバーや,ライブに来てくれる可能性のある友達にすることではないと思うし,ライブ前1週間は練習に集中するためどんどん1人の時間になっていくので,吐露する場がない。

吐露する場は,つくろうと思えばつくれるのだろうが,それを吐露することはカッコ悪い,と思っている自分の(無意味な?)プライドもある。

白鳥のように,もがいている姿は見せず,自分で克服したいのである。

 

結局いつもこんなメンタルで挑むから,リーダーライブで最初から落ち着いて演奏できたことはあまりない。克服したくて,多めにリーダーライブをやっていた時期もあったが,回数を稼ぐために,集客を考えなくてもいい場所での演奏をしていたので,このような思考を克服することにはつながっていない。

 

渾身のライブは,なるべく人にお知らせしたいから,その結果ハードルがあがって,苦しくなってしまう。

35歳,ジャズを初めて15年。未だにへっちゃらにはならなくて,こうしてライブ当日の今日も,ブログに吐き出しているのである。

 

それでもなんとか,自分が演奏する意味があると思える演奏,やってもいいかなと思える演奏に近づくため,自作の曲やアレンジも書いてきたし,固有のサウンドやラインを追い求めてきた。昔の自分の演奏なんて正直聞けたものじゃない(と,いつの時点でも思っている)。だから確かに,前には進んできているということだし,過去と今はちゃんと繋がっているのである。

 

それでも100%にはならない。それは謙遜やカッコつけているわけでは本当になく,自分は天才ではなくせいぜい秀才か凡人タイプであって,初期段階のセンスや能力値が低いうえに,成長のスピードが早いほうではないということなのである。

それでもやめたくはない。いつか,演奏を聞いた人に,ガーンと衝撃を与えたい,虜にしたい,という願望がある。

 

今年は,楽器に対するモチベーションは特に紆余曲折し,「自分ちょっと上手くなったかも」と思えていた時期もあった。そのときは,「もしかしたらもう何も怖くないかもしれない」と期待したのだったが,やはりそうではなかった。

 

ジャズのリーダーライブというのは自分にとって,生の自分,底の自分,を突きつけてくれる媒体である。

ライブを企画しなければ,なんとなく自分を都合よく過大評価して,自分はできる奴なつもりで,楽しく生きることができるかもしれないのだ。でも,自分のライブを企画すると,そこのところを本当に突きつけられる。

「本当にそのラインが吹きたいのか?」「そのトーンでいいのか?」「てかなんでライブをやるんだ?」とハイアーセルフが問いかけてくるのである。

 

なんだろうな。

こうして自分で企画して,自分で突きつけられて,凹んで,また立ち直って,を繰り返してる,

って,アホだけど,なんて素敵なことではないか,とも思う。

 

 

 

 

 

そうやって,多分いつものように,どうにでもなれという気持ちで本番に挑んで,緊張して,でも終わってみると良いところもあって,めちゃくちゃ飲んだくれて,空っぽになって,いつかまたライブ企画したくなるんだろうな。

 

とりあえずこのあとヘッドスパいって,安らぎを買ってきます。

あー,がんばろう。たのしみ。

 

 

 

 

 

自分にとってライブをすること(特に、自分で企画すること)ってどういうことなのか?


今日はふと、そのことが完全にわからなくなった。


ある文字を見続けていると文字の記号性が突然失われるように、自分にとってのライブというものが何なのかわからなくなった。


思えば、ライブハウス側や、お客さんから、ライブをやってほしいと頼まれたことはおそらく一度もない(当たり前だけど)。

自分からライブハウスに連絡して、「やらせてもらった」ことしかないのである。

もちろん友達に「ライブやらないの?」と聞かれることはある。でもそれは、「やるなら行ってみたい」というだけであって、やってほしいから頼む、ということとは違う。別に自分がやらなくても何の問題もないのである(当たり前のことである)。


そう考えていくときに、自分がライブを企画するということには何の必然性もなく、最も悪い捉え方をするなら、ゴミをポイ捨てしてるようなものである。ノイズを撒き散らしているだけである。なぜなら誰も必要としないものを世に出してるのだから。


この感覚は非常に処理の仕方が難しい。

ある意味これは真理だからである。


自分にとってライブを企画するということはどういう意味を持つのか?答えは出ない。


こんなときどうすればいいのだろう。


要は精神的なスランプとでも言うべきか。今回のものはなかなか根が深い気もする。

ふと視点を変えてみれば、自分は「すねて」いるだけなのかもしれない。素直に記すなら、「なんでこんなに努力して、上手くなっているのに、誰も評価してくれないの?」というとである。


自分は批評家にはなりたくない。でもどんどん歳を重ねることに頭ばかりデカくなった。


ああ、ムルギーのカレーが食べたい。