2024年2月、3月に読んだ本たち | ますたーの研究室

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英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

 

気が付いたら桜が咲いて散ろうとしている季節になってしまった。

 

 

・青木秀雄編『第2版 教職入門 専門性の探究・実践力の錬成』(明星大学出版部、2017年。)

久々の教免のために読んだ本その1。

 

 

かなりベーシックな教職入門のための本なのでそれほどコメントがないが、本書の中で紹介している「省察的実践家」という専門家モデルがなんだか響くものがあってよかった。

 

弁護士や医師を初めとする「専門職」の定義は、ある特定の公益性の高い分野について高度な知識・技能をもち、それにともなって長期かつ高い水準の養成教育と専門の免許を必要とし、また自律的な職業倫理などを要件とする職業集団(職域)を持つ職種とされている。これが従来的な専門職の定義とされているが、教育職はこれらの専門職の定義に当てはまるかというと微妙である。

 

そこで提示されたのが、「省察的実践家」という専門家像である。これはすなわち、職務行為を遂行する中での省察を通じて、独自の事例についての新しい理論を創造的に構築し実践するという新しい専門家像である。教師の専門職性とは、すでに確立した知識、技術を画一的に適用するのではなく、教育行為の中の省察を通して常に変容させていくものであるとされたのである。

 

 

本書とレポート課題の中で「専門職とは何か」ということを考えていたのだが、これは今やっている仕事にも大いに関わってくる内容だったので、結構大事だったなという実感がある。なかなかよかったです。

 

・芥川龍之介『芥川龍之介全集 第1巻』(筑摩書房、1986年。)

同じく教免のために読んだ本その2。やはり本邦における近代文学の歩みを考えるうえで、芥川龍之介は避けては通れない。

 

 

本書は芥川全集の第1巻というところで、初期の作品が並んでいる。その初期の作品群を見る中でも、形式、文体、題材でこんなに多種多様なのかと驚かされる。

 

 

僕が好きなのは「芋粥」の「芋粥を腹いっぱい食べたいとは常々思っていたけど、いざそのシチュエーションになっちゃったらこんなしんどいの」という絶妙な描写で、「まあそんなもんだよな人生」という共感があった。

 

・エーリッヒ・フロム『愛するということ』(鈴木晶訳、紀伊国屋書店、2020年。)

少し前から書店に平積みにされているベストセラーを、なんだかふと読みたくなって読んだ。理解が追いついているとはとても言えないが、心に残る一節もいくつかあってなかなかよかった。

 

 

フロムは、孤独が人間にとって最も堪えがたいものとし、誰かと愛しあうことによって深くつながりを持ち、孤独を超えることを人間の究極の欲求としている。そのうえで、「愛することは技術である」という立場をとり、愛の理論と技術の議論の二本立てで構成されている。

 

 

「成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままの結合である」というテーゼも印象に残ったが、本書をおさらいする中で最も印象に残った一節は次のものだ。

 

「ふたりの人間が自分たちの存在の中心と中心で意志を通じあうとき、すなわち、それぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき、はじめて愛が生まれる。この「中心における経験」のなかにしか、人間の現実はない。人間の生はそこにしかない。したがって愛の基盤もそこにしかない。そうした経験にもとづく愛は、たえまない挑戦である。それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業である。調和があるか対立があるか、喜びがあるか悲しみがあるかといったことは、根本的な事実に比べたら取るに足らない問題だ。根本的な事実とはすなわち、ふたりの人間がそれぞれの存在の本質において自分自身を経験し、自分自身から逃避するのではなく、自分自身と一体化することによって、相手と一体化するということである。愛があることを証明するものはただひとつ、すなわちふたりの結びつきの深さ、それぞれの生命力と強さである。これが実ったところにのみ、愛が生まれる」(154-55)

 

誰かを愛する中で、自分自身を経験し、一体化することによって、その相手とも一体化する、それが愛なんです、というのは「なるほどなあ」という思いがした。

 

 

もう一つ。本書の主題として示されている、高度資本主義が発達した現代の西洋社会において、愛は成り立つのか(その答えとしては、交換原理の中に愛は含まれないから、成り立たず崩壊を見せている)というところが、ミヒャエル・エンデ『モモ』をなんだか思い出した。エンデも「消費資本主義がもたらす『幸福』は真の『幸福』ではない」というのが「モモ」の物語に通底したテーマとしてあるが、フロムが本書の中で展開する「もはや人間を疎外する高度なシステムと化した市場経済の中で、どのように人間性を維持、回復するか」という話は、エンデの問題意識に通じるのではないかという気づきがある。

 

・村上春樹『一人称単数』(文藝春秋、2020年。)

今年になってから、高校の時の友達と再会した。その友達は、社会人になってから、小説に目覚め、小説にハマっていた。

 

「小説は、人間の心の複雑な動きが見える形で結晶しており、それによって心が理解できるから面白い」という彼の小説評は、それなりに真剣に文学に取り組んできた人間からするととっても嬉しかったし、もっとたくさんの人がそう思ってくれるといいのになあと思うところである。

 

その友達が薦めてくれた一冊で、久しぶりに村上春樹を読むかと思って読んだ。やはりなんだかんだ言って村上春樹が好きなんだな、と改めて実感した。そして、村上春樹の文体と物語を堪能するには、短篇が一番いいかもしれない。

 

 

僕が一番好きなのは「品川猿の告白」だったのだが、いま調べたら「品川猿」という別の物語がすでにあったんですね。名前を採られた側の女性の話があったところで、本作は名前をとった側の猿の告白の話だ。猿がしゃべっているというシュールな光景が単純に面白い一方で、他者とどうしてもうまく関係を取り結べられない在り様はすごく共感をもったし、我々は皆多かれ少なかれ品川猿なのだ、と言っても過言ではないかもしれないとさえ思う。