2022年11月、12月に読んだ本たち | ますたーの研究室

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英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

 

1年間の総決算だぜ~!という気持ちでお送りします。

 

・新海誠(文)、海島千本(絵)『すずめといす』

 

(C)2022「すずめの戸締まり」制作委員会、McDONALD'S

 

11月は何と言っても『すずめの戸締まり』だった。というわけで、前半の3冊は『すずめ』関連書籍となる。

この絵本のために、何年振りかにハッピーセットを食べた。そして、サイドメニューは映画でも登場したえだまめコーンにしたのだが、これがめちゃくちゃうまかった。青豆もコーンもやわらかくて甘い。そして、ポテトに負けないくらいお腹にたまるので満足感がある。ポテトの油がきつくなってきた大人にこそ勧めたい逸品である。

 

 

『すずめの戸締まり』はメシの描写も素晴らしく、愛媛の民宿での夕食やスナックのポテトサラダ入りの焼きうどんは秀逸である。それは、食事を共にすることが関係性を築くことの描写であるというセオリーに忠実であるわけだが、この絵本も同じ意志が流れている。「わあ、それって すずめの だいこうぶつ!」が4回繰り返されるの、ほんとすこ。すずめが忙しいお母さんのために作ってあげたおにぎりの尊さと本質さ。物語本編のスピンオフとして十分に補完しているだけでなく、絵本単体として読んでも充実していて好きです。

 

 

『すずめの戸締まり』は結局2回観た。2回目に観て改めて思ったこととしては、台詞に嘘がなくてよいというところである。駐車場で思いが爆発してしまった後に環さんがすずめに伝える「そう思ったこともあるけど決してそれだけじゃない」という言葉が本当にいい。「私の人生返してよ!」という強く傷つける言葉を撤回するのではなく、「そう思ったことは確かにあるけれども、でもそれだけではない」という持って行き方は、僕はすごく誠実でいいと思っている。本作が母親として育児に向き合っている後輩の琴線にも触れたのは、こういった誠実さにあるのではないかと思う。

 

・江戸川乱歩「人間椅子」千葉俊二編『江戸川乱歩短編集』(岩波書店、2008年。)

『すずめ』関連書籍その2。これは何かというと「人間が椅子になる」というつながりで連想した、椅子職人が人間が入れるでかい椅子を作り、その椅子に貴婦人が座ることで身体密着をします、というフェティシズム溢れる一篇である。さすがに新海が本作をもとにソウタさんが椅子になるという着想を得たとまで言うつもりは全くないが、すずめちゃんが急に椅子に座る神戸のくだりや、椅子を踏み台にするくだりに、監督特有の変態性が乱歩特有のフェティシズムと符合していたように思われる。

 

 

当初は「人間椅子」一篇だけを読むつもりだったが、結局12月いっぱいをかけて短編集全てを読破した。今年1年通じてもベスト5に入る本で、かなり面白い読書体験だった。一読してわかるくらい「江戸川乱歩ってそりゃ人気ですよね」という感じで、大正浪漫が作品の背景と文体から溢れ出している。加えて、描かれるフェティッシュな感じがどれもすごい。性癖はすごいのだが、エログロのバランスが良くてそれほどはきつくないのがいい。いや、当時の感覚からしたらとんでもなくスキャンダラスだったと思うんだけれども。

 

『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』、あるいは島田荘司、綾辻行人、京極夏彦など、他の日本人のミステリー小説の原型がそこにある。それは、暗号や謎解きの要素だけでなく、探偵小説とは本質的にキャラクター小説であること(ホームズ、ポワロ、コロンボなどを採り上げてみても、みなキャラクターの個性が強い探偵たちだ)が、明智小五郎の話からもよく感じ取れる。最後のオチでずっこけてしまっているような作品がちらほらあったが、まあ日本における探偵小説の嚆矢だもんなと思うと全然許容できる。

 

個人的には、「お勢登場」のどうしようもなく救いのない感じとおぞましさと、「なんかどうしてもうまくいかなくて申し訳ありません」という言い訳がついている「木馬は廻る」の、見切り発車で書いていてオチが思い浮かんでいないために結果的になんかハッピーな話になっているところが印象的だった。よかったです。

 

・福永武彦訳『現代語訳 古事記』(河出書房新社、2003年。)

『すずめ』関連書籍その3。どうでもいいが、パンフレットに掲載されている原菜乃華さん(すずめ役)のインタビューをぱらぱらと読んでいたら、「中学1年生のときに『君の名は。』を観て、そこで初めて新海監督を知りました」という文言が書かれており、思わず「ヒョエーー」となってしまった。原さんは現在19歳というところよりも、『君の名は。』のときは13歳でした、の方がダメージがでかい。

 

 

さて、『古事記』の話だが、同じくパンフレットの「キャラクター設定」のところに、「[鈴芽の]キャラクター名は日本神話にちなんでいて、最高神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)が隠れた岩戸を開くきっかけを作った天鈿女命(アメノウズメノミコト)から」と書かれている。この記載の通り、本作は『古事記』の「天石屋戸(あめのいわやど)」の挿話に題材をとっている。ただし、あちらではアメノウズメが岩屋戸を開ける話になっているところが、本作では扉を閉める話になっているところが対照的となっている。感想記事で、本作は神話とジブリを引いていると書いたが、本作はそのアリュージョンの手つきがかなり上手い。

 

 

『古事記』自体は全部が全部読めていないが、さすがに日本最古の歴史書(かつ神話)というところで、どこかでなんとなく聞いたことある話、知っている話が大体全部詰まっている。何らかの作品で神話絡みの話が出てきたときに、さっと記紀を参照できるようになりたいと思うので、今度は『日本書紀』も本棚に仕入れておこう。

 

・伊坂淳一『新ここから始まる日本語学』(ひつじ書房、2016年。)

ここからは教免のために読んだ本ゾーン。国語の免許なので、日本語学もやらないといけない。

学部時代は言語学を副専攻としていたので、そのことを思い出しながらわりと楽しく読めた。だが、レポート課題の2本目の方は1回リジェクトを喰らってしまい、まだ再提出の結果が出ていないので油断ならない。言語学はちゃんとやりだすと面白いが泥沼に嵌るというのは、過去の経験上よくわかっているので、よいところでクリアしたいものである。

 

・柴田義松ら編著『あたらしい国語科指導法 六訂版』(学文社、2021年。)

教免のために読んだ本その2。こちらについては、表題のそれ以上でもそれ以下でもなく、国語の指導法についての内容と方法論が的確にまとめられた一冊。記述がよくまとまっている上に参考文献が充実しているので、教科書として文句のない仕上がりになっている。

 

・CLAMP『カードキャプターさくら クリアカード編』(13)

 

 

(C)CLAMP・ShigatsuTsuitachi CO.,LTD./講談社

 

「クリアカード編」も次巻の14巻が最終巻ということが発表され、いよいよ大詰めという巻数である。

「クリアカード編」は完結したらしっかり作品論を書かねばなあというところで、今回は本当に軽く。

ついに始まった「時計の国のアリス」。この演劇のシークエンスに移ってからの漫画描写が凄まじく、もはや説明で説得されるのではなく、絵で感じろと言わんばかりの勢いと熱量に圧倒された。

 

 

今見返して思ったところとしては、「似ている」と散々描写されてきた秋穂とさくらについて、片や魔力が何もない真っ白な「本」としての少女と、片や魔力が溢れすぎて制御ができなくなってきている少女という、この対称性が本作の主軸となっていたんだな~ということを認識した。最終巻もしっかりと読み届けます。

 

・あfろ『ゆるキャン△』(14)

 

(C)あfろ/芳文社

 

『ゆるキャン△』の躍進はまだ止まらない。アニメ第3期の制作も発表され、本当に作品の強さと影響力は並大抵のものではないなと感じずにはいられない。何度か書いているが、自分は原作10巻、11巻のなでしこ、リン、綾乃の大井川キャンプの挿話が本当に好きなので、それがアニメ化してくれるであろうことに無限に期待をしている。

 

 

さて14巻。前巻にちらっと出てきた後輩女子2人が本格的に物語世界に参入してくる。それと同時に『ゆるキャン△』要素に「スポーツバイク」が加わるようになる。アウトドアというか、野外アクティビティ全般をキャンプに絡めて物語要素にできるのは強すぎるな。そのうちフィッシングとか狩猟とか、あるいはスポーツ全般とかも加わっていくんじゃないか。わからんが。そんでもって、新入部員歓迎のキャンプで片道70キロを要求する野外活動サークルが鬼畜すぎて笑った。それは確実に「ゆるキャン」ではない。

 

・はまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』(1-5)

 

(C)はまじあき/芳文社

 

今年のハイライトとして、『ぼっち・ざ・ろっく!』の話をしなければならない。

2022年のラスト3か月を無事に生きのびられたのはマジで本作のおかげである。久しぶりにアニメにドはまりした。自分が住んでいる生活世界が漫画・アニメとして描かれているのは初めての経験で、本作の影響で本当に下北沢を好きになったような気がした。描かれる場所の全てが大体どこもわかるのは、あまりにも良すぎる。漫画も全巻買い、「ぼっち・ざ・らじお!」も死ぬほど聞き倒し、結束バンド1stアルバム『結束バンド』も購入した。加えて、フレッシュネスバーガー下北沢店限定で復活したスパムバーガーも食べた。美味しかったです。

 

 

まず『結束バンド』については、アルバムを通しで聴いた時の完成度の高さが凄まじい。その中でも、最後にやってくる「転がる岩、君に朝が降る」が、もう言葉にできないくらい良い。後藤ひとりというキャラクターと、それを演じる青山吉能という声優のそれぞれのパーソナリティが、物凄い化学反応を起こしている。そして、それが「転がる岩、君に朝が降る」に結実している。

 

青山さんがぼっちちゃんにも負けないくらい陰キャ(こんなこと言ってすみませんと思いつつ)であることは、「ぼっち・ざ・らじお!」を聴けばよくわかる。このラジオでは、最初の30分弱ほどが青山さんの一人喋りが流れるというすごい構成をしているのだが、その中でも第8回の「オーディションに落ちまくる悔しさの叫び」と「大人数いる現場で誰とも話せなかった話」は、自分の中で神回として魂に刻まれている。「いかに初対面の人と会話をするか」という議論を青山さんと長谷川さんが延々繰り広げる第8回冒頭がマジで好きすぎて、何回聴いたかわからない。この青山さんのパーソナリティをよく知っている状態で歌を聴くと、なんだかえらい泣けてきてしまう。ぼっちちゃんと青山さんの魂がこもっている。

 

 

さて、作品の話である。原作とアニメ版で大きく違うと感じるのは、主人公・後藤ひとりの圧倒的孤高感だ。彼女はまごうことなき本物であり、天才である。ギターを1日6時間練習し続けられるというところが、まず常人では達成できない。オープニングの演奏シーンでも、第5話、8話、そして最終話のライブシーンでも、他の3人と一緒に演奏をしているが、彼女は一人で孤独に演奏をしているというシーンが強調されていたように思われる。それでも、ロックバンドは一人ではできないというところがいい。本作は通貫して結束バンドの、というよりも後藤ひとりの物語であったが、彼女が仲間を得て素晴らしいバンド演奏をしている、そのこと自体に対する素朴な賞賛や驚きというのが映像に結集していたように感じている。

 

「バンドをしていて楽しい!」というところが全くなかったわけではないが、こと後藤ひとりに関しては、どこの演奏シーンを切り取っても「楽しそうに」演奏していないのが、個人的には物凄く高く評価している。彼女がにこやかにギターを弾いているシーンは1つもないのだ。加えて、文化祭バンドを目前に控えて、「自分が楽しく演奏できればいいな」ではなく、「みんなが楽しんでくれればいいな」と考えているところがマジでプロである。アクシデントを乗り切って無事にソロを弾き終わったあと、「ふぅ……」となっているところも、大変リアルである(オケや吹奏楽で自分のソロ終わったあとはマジであんな感じになる)。

 

誰かと一つになるための手段としてのバンドではなく、バンドを目的としてバンドを描いているのが、大変素晴らしい。すべての劇中歌が高品質であるところも含めて、やはり部活ものではなくバンドものとしての味わいの強さが本作の魅力なのだと思う。

 

 

アニメ化された以降の話では、結束バンドが本格的にバンドとして売れていくための挿話が展開されていく。10代限定のオーディションである「未確認ライオット」に参加したり、レーベルと契約してCDを出したり、と、本当にバンドものとしてガチでやっていっている展開は、やはりかなり良い。そこに素晴らしい楽曲が乗ってくれればまさに鬼に金棒という感じなので、無限に2期を期待してしまう。なにとぞよろしくお願いします。