2021年11月、12月に読んだ本たち | ますたーの研究室

ますたーの研究室

英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

 

俺は繁忙期をSurviveしているけど、お前は?(2回目)

 

・村上春樹『やがて哀しき外国語』(講談社、1997年。)

10月にウルフ『病むことについて』を読んで以降エッセイを読みたい機運が高まっていたので、本棚の中に眠っていた春樹の一冊を取り出して読んだ。

自分は中学生以来ずっとラジオを聴くのが好きなのだが、TOKYOFMで10月の朝5時から村上ラヂオの再放送がやっておりそれを毎朝なんとなく聴いていたというのも、春樹のエッセイを読みたくなった理由になる。

 

本書はアメリカに滞在していた日々を綴ったエッセイ集となっているのだが、連載が1992年~93年、出版が94年というところで、なんというか隔世の感をひしひしと感じた。自動車産業のソーシャルダンピングに対する日本へのバッシング、湾岸戦争での愛国心の高揚、というところで「ああここは9.11以前のアメリカなんだなあ」と、まだ起こっていない9.11が当然のことながら書かれていないことによって、より一層2001年を境にアメリカは異なる世界になったのだろうなという思いを強くした。あとは80年代後半、ホノルルマラソンに1万人以上日本人がエントリーして走っていたといういかにもバブリーな挿話とか、もう本当に想像もぼんやりとしかできない在りし日の日本の姿という感じだ。

 

・渡部昇一『教養の伝統について』(講談社、1977年。)

4年ぶりくらいに再読。

 

「一か国語しか解さない者は、一か国語をも解さない者である」という文言から始まり、英文科の学生が国語教員の免許を取れるカリキュラムを作るのはどうかと提言する「二科兼学のすすめ」というチャプターは、院生の時に初めて読んだときは座右の書にしようと思うほどの感銘を受けたのだが、改めて読み直すと外国文学を学ぶエリートが国文学を学ぶ学生を見下している自意識が駄々洩れという感じで、なんだか嫌な気分になった。とにかく国文舐めんなよという感想に尽きるのだが、40年前と現在の教養の状況があまりにも隔たりがあるということを表わしている事態だとも思われる。本書が書かれた時点で「日本の知性を長きにわたって育んできた漢籍をはじめとする伝統的教養から、私たちはあまりにも遠く離れてしまった」という問題意識があるのだが、その時点からさらに「伝統的教養」なるものが失われてしまったのは間違いないのだろう。

 

・セイビア・ピロッタ(文)、ブリジェット・パラジャー(絵)『こどものためのバレエ・ストーリー』(田中奈津子訳、文化出版局、2019年。)

 

(C)BUNKAGAKUEN BUNKA PUBLISHING BUREAU.

     

わりと長きにわたってチャイコフスキー作曲『くるみ割り人形』に取り組んでいるので、原作を知っておきたいと思い購入。

本書はバレエの有名な物語のオムニバス絵本となっている。『眠りの森の美女』『コッペリア』『火の鳥』『白鳥の湖』『シンデレラ』『くるみ割り人形』の6作が収められており、非常にコスパのいい本となっている。チャイコさんの三大バレエがきちんと押さえられているあたり、オケマンは一冊持っていても損はないだろう。

 

『火の鳥』『白鳥の湖』がバッドエンドだったり、『コッペリア』が本当によくわからないお話だったりと新しい発見が多かったのだが、改めてちゃんと読んだ『シンデレラ』がかなりよかった。シンデレラに魔法をかけるおばあさんの正体は彼女の名付け親の妖精であり、春夏秋冬の妖精が現れたり(そのうちの夏、秋の妖精が馬へと変身する金色のトカゲとカボチャを出す。あと、春の妖精がスノードロップの花束を贈るのがかなりいい)、細部のディテールが結構しっかりしている物語なのだというのは新しい知見だった。

 

・上白石萌音『いろいろ』(NHK出版、2021年。)

 

上白石萌音『いろいろ』表紙。(C)2021 Kamishiraishi Mone

 

10月の読書記録で『ナイツ・テイル』について言及したが、完全に萌音さんのファンになってしまったので買った一冊。

一瞬利便性を優先してKindleで買おうとしたが、これは物体の本を買って本当によかった。萌音さんの写真のページとか、「萌音さんの色」のコーナーとかを、白黒のKindleで読んでしまったらあまりにも残念すぎただろう。だから本好きの萌音さんに倣って書籍の形態で読んでいただきたい。

 

二○二○年九月十日。渋谷に立つ、年月の重厚さが滲む大きなビルの一室で、担当編集者Sさんと二回目の打ち合わせをした。Sさんはいつも素敵な手土産をくださる。前回はおしゃれな板チョコ、今回は熟したシャインマスカット。それをポンポンと頬張りつつ、打ち合わせもポンポンと進む。熱中するうちに、気づけば話し始めてから二時間も経っていた。充分すぎるほどアイデアが出揃い、晴れてこの本の方向性が定まったので、腕まくりをしてこれを書いている。
(「はじめに」、6)

この書き出しがまずいい。文体のリズムが良く、「ポンポン」の弾む感じが可愛い。全編こんな感じで、萌音さんの日常と思考が軽やかに、しかしながら確かさがある力強いタッチで綴られる。短編小説も出身地である鹿児島の旅行記も大変よかったです。

 

あっさりめな感想だが、まあ萌音さんのファンになるからとりあえず読めという感じだ。

ちょっとした小旅行のお供に買ったが、旅の中で読むにも、通勤の電車に読むにも、一日の終わりに読むにもとてもいい一冊だった。今年読んだ小説の圧倒的一位は『贖罪』だが、今年読んだ本の一位に食い込んでくる素晴らしい本だった。萌音さん素敵です。

 

・CLAMP『カードキャプターさくら クリアカード編』(11)

(C)CLAMP・ShigatsuTsuitachi CO.,LTD./講談社

 

ちょっと読むのが遅れたが、さくらの新刊。

 

10巻の感想で「12巻で終わりそうな雰囲気が見えてきた」と書いたが、11巻でまたちょっとお話が停滞してしまった感がある。その原因は明確で、「クリアカード編」全体が時間を巡る挿話となっているからだ。何かあったら海渡さんが時間を巻き戻すせいで、進んだと思った展開がまだ逆戻りすることになる。加えて、やはりぼーっと読んでいると時間の推移がわからなくなる。いつの時点からいつの時点へと巻き戻したのか、それこそ時計で示してほしいという切実さがある。10巻時点で大分整理したのだが、依然なんとなく難しい。

 

相変わらず海渡さんが何がしたいのかよくわからん展開が続いているのは読んでいてちょっと苦しいのだが、そもそもこの時代でさくらちゃんの新作をリアルタイムで追えることができていること自体をもっと言祝いだ方がいいのかもしれない(今さらながら)。ケロちゃんとスッピーがわちゃわちゃしているのをピースフルな心で眺めているだけでも幸せだという天啓を受けたのは、もしかしたら繁忙期の疲れのせいかもしれない。

 

そういえば、「海渡さんに会えて変われたことがあるんです。だから……!」という秋穂の言葉を振り切って部屋を出ていく海渡さんなかなか最低だなあ、秋穂のことをちゃんと信じてないのが一番問題だよなあ、と思っていて次のページをめくったら、モモさんがめちゃめちゃブチギレているのはだいぶ笑ってしまった。俺とモモさんの心が通い合った瞬間であった。