『キラキラ☆プリキュアアラモード』が描く「多様性」 | ますたーの研究室

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英詩を研究していた大学院生でしたが、社会人になりました。文学・哲学・思想をバックグラウンドに、ポップカルチャーや文学作品などを自由に批評・研究するブログです。

1. はじめに

『キラキラ☆プリキュアアラモード』(『プリアラ』)も折り返し地点を超え、今後もますます面白くなっていく展開から目を離せなくなってきました。

 

 

さて、プリキュアのメイン視聴者は当然のことながら小さな女の子ですが、いわゆる「大きなお友達」層、そしてその中でも「プリキュア研究」に従事するようなコアなプリキュアファンの間では、最近「多様性」という言葉が注目されています。

 

 

まずはこちらの記事をご覧ください。

 

 

 

『プリキュアの数字ブログ』「虹色のプリキュア『キュアパルフェ』は『多様性』の象徴なのか?」

 

 

 

「プリキュアの数字ブログ」の管理人、kasumiさんはプリキュア研究の偉大な先達と呼ぶべきお方なのですが、氏は「キュアパルフェ」の登場に際して、近年プリキュアが(LGBTの象徴である)「虹」をモチーフに取り入れており、プリキュアが積極的に「多様性」を描こうとしているのではないか、ということを指摘されています。

 

 

『プリアラ』のテーマは「多様性」である。

 

 

私もそう思います。

 

 

今日はプリキュア研究の実践です。『プリアラ』の描く「多様性」について考察します。

 

2. 「虹」というモチーフについて

「虹」について、詳しいことはすべてkasumiさんの記事にまとまっているので、正直ここで付け加えることはほとんどありません。が、これから議論を進めていくにあたって、私自身も「虹」というモチーフについて簡単にまとめておきたいと思います。

 

 

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Ludovic Bertron from New York City, Usa - https://www.flickr.com/photos/23912576@N05/2942525739

 

まずはレインボーフラッグ。

 

 

レインボーフラッグはLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の尊厳と社会運動を象徴するものであり、性の多様性と多様性を尊重した社会や文化の在り方を表現しているものと言えます。

 

 

で、『プリアラ』6人目の追加戦士となったキュアパルフェは虹色のプリキュアであり、昨年の『魔法つかいプリキュア』に引き続き、プリキュアは「虹」というモチーフを導入してきました。

 

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(C)ABC-A・東映アニメーション

 

 

虹色のプリキュア、キュアパルフェの変身シーンですが、背景には虹が大きく架かっています。

 

 

この「虹」というモチーフ、後期ED『シュビドゥビ☆スイーツタイム』の映像にもあちこちに登場しており、何らかの意図を込めて「虹」を積極的に用いているのは間違いないと思います。

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(C)ABC-A・東映アニメーション

 

 

レインボーフラッグに代表される、「多様性」の象徴である「虹」を意識的にモチーフとして使っていることには、「プリアラが多様性を描いていく」というメッセージが暗に示されていると考えます。

 

 

3. 『プリアラ』での「多様性」と「個性」

「虹」に何か意味がありそう、ということを確認したところで、次は『プリアラ』が描く多様性について指摘していきます。

 

デザイン

まず、プリキュアのデザインについてです。

本作は追加戦士を含め6名もいる大所帯のチームなのですが、6人のデザインは特徴的なほどに統一感がありません。この「チームとしての統一感のなさ」は、それこそ『シュビドゥビ☆スイーツタイム』の6人横並びの絵を見れば一目瞭然なのですが、これを過去作の大所帯プリキュアとも比較してみます。

 

 

2008年『Yes!プリキュア5GoGo!』

 

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(C)ABC・東映アニメーション

 

 

2012年『スマイルプリキュア!』

 

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(C)ABC・東映アニメーション

 

 

2013年『ドキドキプリキュア!』

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(C)ABC・東映アニメーション

 

 

2017年『キラキラ☆プリキュアアラモード』

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(C)ABC-A・東映アニメーション

 

 

「『プリアラ』のデザインには統一感がない」と言いましたが、これは少し語弊があります。

『プリアラ』のデザインには「スイーツ」と「アニマル」という統一的なモチーフがあり、各人がそれぞれのモチーフをあしらった衣装を着ています。なので、全員がまるで共通項がなくバラバラな格好をしている、というわけではありません。

 

 

しかしながら、比較対象として出した3作品と本作においては、デザインの在り方が根本的に違うような気がします。前者が「それぞれのベースとなる統一的な衣装があり、それのカラー違いを着ている」という印象を与えるのに対し、後者は「スイーツとアニマルという統一的なモチーフはそれぞれにあるものの、色もデザインもバラバラの衣装を着ている」という印象があるように思います(すいません、うまく伝わったか自信がありません)。

 

 

OPテーマの歌詞

kasumiさんは『魔法つかいプリキュア!』の多様性を論じるにあたって、OPテーマ『Dokkin 魔法つかいプリキュア』の歌詞を分析していますが、私も同様に『プリアラ』のOPテーマ『SHINE!! キラキラ☆プリキュアアラモード』の歌詞を分析することにします。

 

ときめく理由(わけ)は カラフルにみんな(カラフルに♪)

違うけれど、おそろい(おそろい♥)

"大好き" が いちばんのマストアイテム 

 

『SHINE!! キラキラ☆プリキュアアラモード』

作詞:大森洋子

 

この歌の歌詞全体を考えると、『プリアラ』のテーマは「多様性」というよりも「大好き」であろう、ということを考えざるを得なくなるのですが(「大好き」は作中で何度も言及される最重要概念です)、私は「ときめく理由はカラフルに各人違うけれども、大好きという気持ちは共通項として存在する」というメッセージに注目します。

 

 

「カラフル」という言葉は「虹」のモチーフと共鳴します。

(そういえばレインボーフラッグは6色の虹から構成されますが、プリアラも6人体制、6色によって構成されています)

 

 

こうして、「虹」「デザイン」「カラフル」といった視覚的モチーフや言葉を並べることによって、「メンバーたちがそれぞれ多様な個性を持っていること」を表現しているのです。

 

 

第27話からの、それぞれのメンバーがフィーチャーされる「お当番回」を経て、第32話「キラッと輝け6つの個性!キラキラルクリーマー!」では「個性」というキーワードが取り上げられ、続く第33話「スイーツがキケン!?復活、闇のアニマル!」では各々が「スイーツ」について思いを巡らせ、「やはりスイーツはなくてはならない大切で大好きな存在である」という思いのもとに全員がパティスリーに再び集まりました。

 

 

多様な「個性」を有した仲間たちが、「スイーツ」という大好きな共通項のもとに共同体を営んでいく。

 

 

『プリアラ』はそんな物語だと思います。

 

4. これからの『プリアラ』

(2018年4月11日追記:ここから先のことは『プリアラ』の全貌が見えた現在から見るとけっこう的外れなことを言っているのですが、当時の自分が感じたありのままのことが書かれているので、あえてそのままにしておきました。)

 

 

とはいえ、これからの『プリアラ』の方向性に若干の不安を感じるのも事実です。

 

 

私が一番懸念に思っていることは、果たしてパティスリーのメンバーたちは、「バイト仲間」から先に進むのか、ということです。

 

 

というのも。『プリアラ』に好意的、批判的関わらず、プリキュアクラスタからよく上がる『プリアラ』の批判点に、「仲間たちがあまり仲良さそうに見えない」というのがあります。

 

 

まあ仲悪いわけでは当然ないのですが、パティスリーがなかったら多分友達になってないし、お菓子作り以外に6人でのプライベートの交流はなさそう(あきゆかとかはありますが)。

要は、プリアラの関係性は内面の絆に裏打ちされた「友達」ではなく、スイーツを作ってパティスリーを営む「仕事仲間」なのです。

 

 

これと原因を同じくして、各人の「お当番回」ではスポットが当たっている誰か1人以外のキャラクターは、かなり存在感が薄いというのが良くも悪くも『プリアラ』の特徴となっています。

 

 

そして、より大きな問題なのが、これから最終決戦へと向かっていくにあたって、「燃え」が足りるかどうか。

 

 

これはプリキュアが面白かったかどうかの印象を左右する大きな要素なのですが、「バイト仲間」の関係性のままだといまいち「燃え」が足りなくなってしまうような気がするんですよね……。

 

 

そこで私が読み込んでいきたいのが「家族」という共同体の在り方。

 

 

私は『プリアラ』の家族描写は素通りすべきではない、という印象をもっています。いちかお当番回の家族エピソードがどれも秀逸な出来だったのを始めとして、お嬢様のあおい、おばあちゃんから「手がかからない子」と言われ続けたゆかり、病弱な妹に献身的な姉のあきら、姉弟のほんのすれ違いが大きな問題になってしまったキラリンとピカリオ等々、『プリアラ』では「家族」の問題がクローズアップされている気がします(ただ、ひまりに至っては「何かありましたっけ」ってくらい家族描写が出ていないですね……)。

 

 

というか、一般的に想起されるような「家族全員が揃った団欒の場面」というのをいちかの宇佐美家以外に見たことがない。

これは、私が『プリアラ』の特徴として特に注目しているところです。それと対をなすかのように、毎回毎回、プリアラのメンバーたちがパティスリーに揃ってお菓子作りに励む様子が描写されます。

 

 

さらに、最近ではかつての敵であったビブリーもパティスリーの輪の中に入るようになりました。

パティスリーの多様性の肯定には、敵も味方も関係ないのです。

 

 

スイーツという大好きな共通項をもとになんとなく集まっていたパティスリーの仲間たちが、いつの間にか「家族」と呼べるような共同体へと変化していた。

 

 

もし、こういう力強い絆の表象の展開に持って行けたとしたら、最終決戦に向かって十分な熱量を保持したまま最後まで燃えていけると思います。

 

 

ただ、この通りに展開が進むと、明確に「家族関係」と紹介されていた前作『魔法つかいプリキュア!』の関係性ともろ被りしてしまうので、このまま「バイト仲間」としての関係性を維持し、「職業としてのプリキュア」という新路線を走り続けてもいいかもしれません。

 

 

ですが、「多様な個性を有している個人が、大好きなスイーツという共通項のもとに集まり、家族的な共同体をつくっていく」というのは、現代の「多様性」「共同体」の在り方への1つの答えとして、非常に先行きの明るい解答を表象することになると思うので、私は期待したいです。

 

 

 

 多様な個性を「レッツ・ら・まぜまぜ!」で、どこまで「まぜまぜ」されるのか。

 

 

『プリアラ』も残り1クールちょいとなりましたが、10月末公開の劇場版もありますし、まだまだ期待と楽しみを持って視聴していきたいと思います。