8月27日〜10月10日まで
徳島県海陽町にある「タニのいえ」にて開催されていた
『祖父母展』にわたくしJ子、出展しておりました。
作品名『深海夜』
イラストと文章と
拾い集めた貝殻やシーグラス、流木による展示でした。
身近な存在である祖父母がテーマの企画展だったので
どうしようか迷った挙げ句
生前同居していた父方の祖父の入院に付き添って一晩
病室で過ごしたときの出来事を作品にすることに決めました。
深海夜
祖父の白太郎は漁師だった。漁を引退してからも近くの浜へ散歩に行ってはタカラ貝を拾い集めて
空き瓶にビッシリと隙間なくそれらを貼り付けて花瓶に仕立てるのが趣味であり日課だった。
若い頃から耳があまり聞こえなかったが年老いてからはなおさらそうで、誰かと会話を楽しむという
こともなくますます黙々と、ひとり作業に没頭していた姿はいまだ私の中で鮮明である。
八十歳を過ぎても白太郎は自転車にまたがり行きたいときに行きたい場所へと走っていけた。
ある日、港で自転車に乗っていてうっかり転んでしまった白太郎は足を骨折。救急車で病院へ運ばれ
そのまま入院することになった。普段から無口だったせいでその行動に、はて?と引っかかる点は
多々あれど、家族のだれも白太郎の認知症の進行にはっきりとは気づけていなかったことが入院を
きっかけに露呈した。
夜になると認知症による混乱がさらに増すようで、付き添っていた祖母と母の疲労がピークに達した
頃に私が交代して一晩白太郎に付き添うことにした。
日が暮れて闇がせまると話しに聞いていたとおり病室に不穏が訪れた。
何度説明しても「ここはどこ」「うちにかえる」「風呂に入る」を繰り返し、骨折していることも
お構いなしにベッドから立ち上がる。なぜ望みを聞いてくれないのか、いけずをするのかといった
反発と、全く知らないところに連れてこられて閉じ込められていることが理解できずただただ辛く
悲しい様子。こちらはこちらで、なぜ分からないのかという憤りと、泣いて帰りたがっている人を
無理矢理押し込めている罪悪感とが胸にぐるぐる渦巻いて苦しい。
暗い空間で互いにぶつかり合っていると、酸素が足りなくて息苦しくて、まるでこの世にふたりきり
海の底に沈んでしまったようだった。何度も時計をみては早く夜よ明けろ、明るくなれば浮上できる
と念じていた。
ひたすら帰りたがる白太郎を前に、途方に暮れていた私はあることに気がついた。そういえば付き
添いの合間にやろうと思っていた仕事のためにスケッチブックを持ってきていたのだ。それを
取り出して色鉛筆と一緒にベッドで頭を抱えている白太郎に手渡した。
「なんか好きなものかいて」と筆談すると、しばらくぼんやりと白紙を眺めていた白太郎の手が
ゆっくりと動き出し、青い鉛筆を使って薄く色を塗り始めた。
それは海のようだった。水平線ができて色を塗り終えると、次に緑色で小さく弧が描かれ水平
線の上に山のようなものが浮かび上がった。「これはなんですか」と問うと「出羽島」という
答えが返ってきた。出羽島の隣には、シラゲと呼ばれる島、三つの尖った岩礁の三ツ島、津島、
大島と順々に誕生し、これが、白太郎が毎日のように通っていた浜から眺めた海の風景であること
は明らかだった。鉛筆を走らせている間の白太郎は、さっきまでの狂乱がウソのように穏やかその
もので子どものように楽しげだった。
おじいちゃん、そんなに海が好きやったんやね。
磯のにおいがするおうちに帰りたいね。ここでは海のにおいせんもんなぁ。
そう思うと涙がとまらなくなった。
涙が流れると、もうここは海底ではなくなった。
何度なだめすかしてもそのあと絵を描くことはしなかった白太郎。足を引きずりながら病室を出て
廊下を徘徊し、関係者以外立ち入り禁止の張り紙がある病棟への扉を開けようとするので押しとど
める私と揉み合っているところで看護師さんに制止され結局ベッドに拘束されることになった。
縛り付ける罪悪感も疲労の前に消え失せてむしろホッとした。そうしてすぐに朝が来た。
大暴れじいさんだった白太郎はあっという間に退院の運びとなった。念願の我が家に帰ってきて
からも数年大暴れした後、徐々にかわいらしさを増していき、ある冬の暖かい日に、ベッドに横た
えた体のその足下で、顔を伏せ祖母が居眠りしている隙をつき、暴れもせず静かにあっさりと天に
旅立っていった。子どものころから死ぬまでずっと、海のそばで暮らした人。
祖父の白太郎を思い出すたび、愛しているなんて一言では片付けられない感情が湧いてくる。
けれどいつも感情とともに蘇るのは、あの病室で過ごした濃密な一夜の出来事。
深海から突如浮上したようなあの感覚。
白太郎が見ていた同じ海に私も立ったようなあの幻影。
たぶん私は忘れられない。
ご高覧くださったみなさまありがとうございました。
いつもの作風と全然違っていたので驚かれた方もたくさんいたようですが
近しい人の生々しい記憶を表現するとなると
なんかこんなんなってしまった。
しんどくて けれど一番大切な記憶として私の中にこびりついたあの夜。
もっと優しくすればよかったと思います。
その後悔を持って
いま一緒に生きている周りの人に優しくできればいいなとも。
こういうプライベートが濃い題材を表現するのは初めてでしたし
今まで避けてきた部分でもあったので
思い出されることがあって泣きながら絵を描いたり
こんなことかいてしまって大丈夫だろうかと心配したり
だけども発見や得られるものが多々あったので
やって良かったと今は思えます。
搬入時はバタバタとしていて
あまりほかの出展者さんたちの作品をゆっくりと見ることはできなかったので
会期の中頃にお客さんとして祖父母展をゆっくり訪れました。
本当にいろいろな方々が祖父母(あるいはそれに近い存在の人)に対する印象や想いを
それぞれ独自の捉え方や距離感
ご自分に合った手法で表現していて
ものすごく面白かったです!
そしてなにより 最も別れに近い存在である祖父母がテーマであるので
何回も泣きそうになりました。
タニのいえに私ひとりきりって状況だったら間違いなく号泣。
にやりと笑えるものや 気持ちが優しくほっこりするもの
一体どういうことだろうと摩訶不思議だったのも含めて
すべてがそれぞれの祖父母像。
こんなに慌ただしく感情を揺さぶられるなんて
アート展では初めての経験だったので
ここに出展者のひとりとして参加できて本当に光栄だったと嬉しくなりました。
ディレクターの宮本紫野さんおつかれさまでした!
こんな機会をくれて本当にありがとうございました。


















