中学受験塾に払う塾代を「普通に払っている家庭」は、実は普通ではない。
―ある受験専門家の記事は、そんな刺激的な文から始まっていた。
確かに、受験にかかる費用は、講習や各種テスト代まで含めれば相当な額になる。
一般的な感覚では住宅ローンとかに匹敵する水準だろう。
これを無理なく払い続けられる家庭が限られているのは事実だろう。
そもそも「普通」とは、何が普通なのか。
博報堂の調査によれば、日本人の87%が自分の生活水準を「普通」だと答えている。
ただ実際には、その「普通」の中身にはかなり幅がある。
年収や教育への支出、生活スタイルは家庭ごとに大きく異なるし、都市と地方でも状況は変わる。
同じ「普通」という言葉を使っていても、その中身は一様ではない。
中学受験について言えば、首都圏でも受験率は約2割、全国では1割程度にすぎない。
少なくとも「普通は受験する」という前提が成り立つ状況ではないだろう。
もう一つ気になったのは、「このままではマズい人生になる」といった強い言葉で子どもを駆動させる発想。
危機感を持たせるという意図は理解できる。
ただ、小学生、特にマイペースな男子に対しては、必ずしも効果的とは限らないのではないか。
受験はあくまで数ある選択肢の一つにすぎない。
公立の環境でも力を伸ばす子どもはいるし、早期に受験をしないことが、そのまま将来を決めてしまうわけでもない。
また、有名な中高一貫校に入ったとしても、それだけで将来が保証されるわけではない。
入学後に目標を見失い、思うように力を発揮できなくなるケースも現実にはある。
専門家の指摘は、経済的な現実に目を向けさせるという点では意味があるのだろう。
ただ、それを「だから受験しないとマズい」という方向に接続してしまうと、やや飛躍があると感じる。
「普通」という言葉は便利だが、同時に曖昧でもある。
自分たちがどの位置にいるのかを見つめながら、何を選ぶのかを考える。
その先に、それぞれの納得解があるのだと思う。
一本道ではないからこそ、その時々で考え、今も選び続けている最中だ。