ある国立小学校に通わせた家庭の体験談を読んだ。
「夢中になれる子に育った」「個性を尊重してもらえた」「友達を尊敬できる関係があった」
たしかにいい環境だと思う。
子どもが安心して自分を出せて、それぞれの良さが自然に受け止められる。
親としては理想的に映る。
ただ、これはあくまで「ある環境における最適解」だろう。
周囲の子どもたちの気質、家庭の価値観、学校の運営方針。
こうしたものが一定方向に揃い、うまく噛み合って初めて成立する。
自分の子どもは「お受験」(小学校受験)はしなかった。
仕事が忙しかったこともあるが、一番は「親の受験」と言われる準備をする覚悟も余裕もなかった。
当時は深く考えていたわけでもなく、何となく元気に楽しく過ごせればいいだろう、という程度だった。
一番近い公立小学校は、特に悪い評判も聞かず、実際に通ってみても、いわゆる普通の学校だった。
優等生もいれば、落ち着きのない子や挙動の読みにくい子もいる。
決して整ってはいないが、現実の社会そのものという感じ。
そういう環境では、小さな声でもみんなが耳を傾けてくれるとは限らない。
むしろ、声を出さなければ埋もれることもある。
その中でどう振る舞うかを覚えていく面もある。
結局、どちらが正しいという話ではない。
整った環境にはその良さがあり、雑多な環境には別の良さがある。
うまくいった事例はそのまま一般化できるものではなく、同じようにすれば同じように育つわけでもない。
多くの家庭にとって、環境は選べる部分と選べない部分がある。
その中で何を経験し、どう受け止めるか。
環境そのもの以上に、そこでの過ごし方や親の関わり方のほうが、あとから効いてくるのだと思う。