先日、中学受験の計算問題を家で出してみた。

555×555−444×444−333×333+222×222−111×111

見た瞬間に「うわ、面倒くさい」となるタイプのやつである。

案の定、妻に見せたら、

「なにこれ、面倒くさいわね……」
と言いながら、黙々と筆算を始めた。

555×555
444×444

横で見ているだけでこちらまで疲れてくる。

子どもの受験を伴走していた頃を思い出す光景である。

しばらくして妻が顔を上げ、

「計算したわよ、やっと出た。答えは46964ね?」と少し誇らしげに言った。

ところが、いつのまにか現れた息子が、「いや、前半消えるから」と平然と言う。

どうやら、555とか444みたいな大きな数字を、そのまま「大きい数」として見ているのではなく、「5と4と3の関係」として見ていたらしい。

「5²は4²と3²になるから、前半は消える」と言うのだが、こちらは一瞬何を言っているのかわからない。

中受算数というのは、どうも計算力より、「見方」を鍛える世界らしい。

結局、「111²が12321だから、あとは3倍するだけ」だと言う。
(これも何のことやら…)

中学受験というと、「努力して解き切る力」を想像してしまうが、計算力を鍛えているようでいて、実は「全部計算するな」という訓練をしているのかもしれない。
 

全部計算するのではなく、「どこを消せるか」を考える世界らしい。

大きな数字をそのまま見ない。

 

同じ形をまとめて、複雑なものをできるだけシンプルにする。

 

ただの手抜きではない。

 

ごちゃごちゃしたものの中から共通する形や関係を見つけて、本質だけを取り出そうとする。
 

それは単なる算数の計算というより、「数学っぽいもの」の入口なのかもしれない。