少子化を背景に、大学の定員見直しや私立大学の縮減論が強まっている。

 

財務省は、私大の約4割にあたる250校規模の縮減案を示したという。

 

背景には、18歳人口の急減と、半数以上の私大が定員割れしている現実がある。

 

新聞記事では、定員割れ大学の授業例として、「四則演算から始める」「be動詞の整理」といった内容も紹介されていた。

 

子どもの大学受験を控える親としては、なかなか考えさせられる。

 

「大学まで出れば安心」という時代では、もうないのだろう。

 

とはいえ、大学の価値を単に偏差値や就職実績だけで測るのも違う気がする。

 

地方大学には地域医療やインフラを支える役割もあるし、学生にとっては「居場所」になることもある。

 

思い出すのは、コロナ禍のオンライン授業を巡る混乱だ。

 

すぐに対応した大学もあれば、「できない理由」の調整に時間がかかり、学生の不満が噴き出した大学もあり、大学ごとの差がかなりはっきり見えた気がする。

 

学生数が増え、組織が巨大化する中で、学生一人ひとりを見る余裕を失っていく。

 

これは大学に限らず、大組織ではよくある話なのだろう。

 

さらにオンライン教育が広がったことで、「知識を教えるだけなら動画視聴でいいのでは?」という話まで出た。

 

実際、講義を聞くだけなら、全国で同じ授業を共有したほうが効率的なのかもしれない。

 

大学の価値はどこにあるのか。

 

「知識を覚えること」以上に、「自分の頭で考えること」のほうが大事なのではないかと思う。

 

「本当にそうなのか」と疑ってみること。

前例や空気に流されず、自分なりに考えてみること。

 

しかし、受験では「正解を早く出す訓練」が中心になる。

 

社会に出ると、むしろ正解のない問題ばかりなのに。

 

最近は、「どの大学を出たか」以上に、「そこで何を考え、どう過ごしたか」のほうが大事なのではないか、と思う。

 

もっとも、親としては、そんな綺麗事だけでは済まない。

学費もかかるし、就職も気になる。

結局、偏差値も実績も見てしまう。

だからこそ余計に「大学って何なんだろう」と考えてしまう。

 

これから大学が淘汰されていく時代。

 

偏差値だけでは測れない価値を、大学側も問われる時代になっていくのかもしれない。