下剋上算数の方が、ヒューマンエラーを防ぐために計算手順を徹底的に研究した、という話をしていた。
例えば食塩水の問題。
350グラムの8%食塩水なら、350に0.08を掛けるのではなく、「100グラム中8グラム」という基本形を3.5倍して考える、という。
なるほど、と思った。
たしかに「%を小数に直す」という作業は意外と危うい。
混乱するもとだし、第一面倒くさい。
こういうところで算数嫌いになってしまう人もいるだろう。
最初から「100グラム中8グラム」という形に固定してしまえば、ミスは減る。
中受算数というのは、「どう解くか」だけではなく、「どう間違えないか」を極限まで追求する世界だと思う。
限られた時間で、安定して得点する。そのために解法を標準化し、再現性を高めていく。
合理的で、なるほどよくできている。
一方で、子どもの受験に伴走していたとき、ときどき別のタイプの子を見ることがあった。
解法の型をきれいに当てはめるというより、その場その場で柔軟に計算を組み替えてしまう。
計算の順番を変えたり、途中で約分したり、同じ数を掛けて同じ数で割ったりしながら、自分が一番やりやすい形に持っていく。
大人からすれば、何をやっているのかよくわからない。
しかし最後はちゃんと合っている。
食塩水でも、「100グラムを基本形にする」という感じではなく、頭の中で自然に整理してしまう。
もちろん、こういうタイプは少数派だろう。
だからこそ、中受では「誰でも再現できる解法」が重視されるのだと思う。
ただ、少し面白いのは、その徹底的に体系化された世界の中に、ときどき、その型を軽々と飛び越えていくような子がいること。
問題を解いているというより、数字を頭の中で動かして遊んでいるように見える瞬間がある。
文系の自分からすると、中受算数は時々、外国語の会話を聞いているようだった。
その「外国語」を、小学生の子どもたちが自然に操っているのが不思議だった。
単なる勉強というより、独自に進化した競技のように見える。
あのとき垣間見た「異世界の断片」のようなものが、妙に記憶に残っている。