桜蔭から鉄緑会を経て東大文Ⅰに現役合格した女性の話。

 

 

世間一般の感覚からすれば、「勝ち組」だろう。

 

子どものころから勉強が好きで、競争も好き。

受験勉強も「やらされるもの」ではなく、「没頭できるゲーム」のような感覚。

受験というルールの中では圧倒的に強かった。

 

ところが東大に入り、司法試験を目指したあたりから歯車が狂い始める。

 

それまでの世界は、「努力が見える世界」で、模試の偏差値や順位があり、周囲も同じ方向を向いていた。

 

しかし大学に入ると、同じ東大生でも、留学する人もいれば、起業する人もいる。司法試験を目指す人ばかりではない。

何を目指すかも、どんな人生を送りたいかも、人によって違う。

しかも司法試験の勉強は、それまでの受験のように「偏差値」というご褒美が頻繁には返ってこない。

 

そこで彼女は初めて、自分を支えていた前提が崩れていく感覚を味わったという。

 

受験の世界では、偏差値、合格、不合格といったルールが明確で、「勝つこと」は非常にわかりやすい。

 

しかし人生はそうではない。

 

そもそも、人生において勝ち続ける確率はかなり小さい気もする。

 

長い間にはどこかでつまずくし、思い通りにならない時期も来る。

 

さらに言えば、「勝ち続けること」が本当に幸せなのか、よくわからない。

 

実際、スタンフォード大学などでは、fail fast という考え方がある。

 

できるだけ早く失敗し、その都度修正しながら前に進む、という発想。

 

日本では、受験でも会社でも「ミスしないこと」「失敗しないこと」が重視されがちなので、かなり対照的。

 

シリコンバレーでは、一度も失敗していない人より、失敗から立ち直った経験がある人のほうが強い、という考え方もある。

 

人生全体で見れば、一度も失敗しないまま進むことのほうがむしろ危ういのかもしれない。

 

記事の中で特に印象的だったのは、彼女が麻雀を通じて「降りることも戦略だ」と知った場面。

 

無理な局面では、いったん降りる。今の局で負けても、次で取り返せばいい。

 

受験の世界にどっぷりはまると、どうしても「一回の受験」が人生全体を決めるような感覚になりやすい。

 

できるだけミスなく、最短距離で進みたい。

 

でも人生は長く、一直線には進まない。

 

遠回りしたり、立ち止まったり、時には「降りる」ことも必要になるのだと思う。

 

受験は確かに大事だ。でも、人生はたぶん、それよりずっと長い。

 

一回の結果だけで決まるほど単純でもないし、後になって思わぬ形でつながっていくこともある。

 

だからこそ、受験の結果だけではなく、その過程をどう経験したかのほうが、案外あとで効いてくるのかもしれない。