桜蔭から京大、そして会計士を目指す中で心身のバランスを崩したというインタビュー記事を読んだ。

 

 

いじめや明確な家庭問題がなくても、むしろ順調に見える子ほど、静かに追い込まれていくことがあるのかもしれない。

 

幼少期から学習が生活に組み込まれ、努力することが当たり前になっている環境は、一見すると理想的といえる。

 

しかしその一方で、「頑張ることをやめるタイミング」を持ちにくい危うさもあるのだろう。

 

特に中高一貫の最難関校では、周囲もまた優秀で努力を続けるのが当然という空気がある。

 

そこで一度アクセルを踏み込むと、どこまで行っても上がいる世界の中で、自分の限界の見極めが遅れてしまうこともあるのではないか。

 

親としては、つい「ここまで来たのだから」と期待してしまう瞬間がある。

 

しかし本当に大事なのは、学力の伸びだけでなく、子ども自身が自分の状態を言葉にできる余白や、立ち止まれる選択肢を持てていることかもしれない。

 

今回の話で印象的だったのは、最終的に本人が「少し余白を持って生きる」方向へ考え方を変えていったこと。

 

高い目標を追いながらも、自分を壊さないラインを探していく。

 

その視点は、受験の勝ち負けとは別の、もっと長い人生に関わるテーマだと思う。

 

親として子どもに何を望むのか。

 

合格か、成功か、それとも持続可能な成長か。