先日聞いた話が印象に残っている。
東京の親子が、子どもの大学受験のために京都まで同行し、宿を取り、受験に付き添ったという。
その子は、どうしても京都の大学にチャレンジしたかったのだという。
受験生は試験そのものは一人で受けるが、慣れない土地での移動や宿泊、下見、当日の段取りは意外に負担が大きい。
特に住んでいる地域から離れた遠方の大学を受ける場合、朝の交通や会場の雰囲気に戸惑うこともある。
その親子の場合、親がホテルの予約や現地の動線を確認し、試験当日も送り出すところまでサポートした。
子どもは余計な心配をせず、勉強と試験に集中できたという。
親が付き添ったとはいえ、勉強の手伝いはもうできない。
高校の数学、数ⅢやCといった領域は文系の親には未知の世界。
それは潔く認めるしかない。
伴走の形は変わる。
丸付けをし、解き直しを一緒に考えることはできくても、受験という大きな行事で子どもが余計な負担を負わないよう環境を整えることはできる。
京都での受験に付き添った親子の話は、その象徴といえる。
親は、ホテルで仕事をし、待ち時間も業務をこなしていたという(ちなみにその方は商社マン)。
今はノートパソコン一つあればどこでも仕事ができる時代。
子どもが試験を受けている間、親は自分の仕事を進める。
互いに時間を有効に使う。その結果、子どもは集中し、親も役割を果たす。
大学受験は子どもが自分で挑む戦い。
しかし完全に一人で戦わなければならないわけではない。
必要なサポートを提供し、あとは見守る。
京都まで付き添った親子の話は、受験における「伴走」の意味を改めて考えさせてくれた。