時間があるときに、論理的思考力を鍛える問題、というのを考えています。
暇つぶしですが、普段使わない脳の部分を使うので、認知症予防にいいのではないかと思っています。
例えば、こんな問題。
A、B、Cの3人が順番にテニスのシングルス戦を行った。
ルールは、
「勝ったらそのまま残って次の試合に出る」
「負けた方は待機している人と交替し、次の試合には出られない」
「引き分けなし」
というもの。
ここで問題は、
最終試合が終了したところ、それぞれの合計試合数は、Aが10試合、Bが15試合、Cが17試合となったとき、全体の第2試合で負けたのは誰か?
「なぜ第2試合?」
「そもそも第1試合からして、誰と誰の対戦?」
謎です。
手がかりがない。
どこから手を付けるの?
試験ではないので、別に制限時間があるわけではありません。
こうした問題は、正解を知ることにあまり意味はないと思っています。
「考えることそれ自体」に意味があると思います。
別に答えが分からなくてもいいのです。
あーでもない、こうでもない。
中学入試に伴走していたころを思い出します。
あのときも、答えが見えない問題を子どもと一緒に考えていました。
考えていると、気づくことがあります。
例えば、この問題では、3人しかいませんから、試合の組み合わせは3通りしかできません。
試合をしているのが2人で、残りの1人は待機。
試合をしたら勝ち負けが決まり、次の試合は、勝った人と待機していた人が対戦。
そこからどう広げていくか…。
そもそも全部で何試合あったのか…。
ずっと集中して考えている必要もありません。
全然別の事をしていたり、外を歩いているときにふと解決の糸口が思いつくこともあります。
だから気長に考えるようにしています。