子どもの受験に伴走していたときに痛切に感じたのが、「なんでこんなにノンビリしているのか」
「早く、早く」
何度言っても全く通じない。
ぼーっとしていて、ゆっくりのんびり構えているように見えました。
「いつまでに、これとこれを終わらせるためには、今からこういうペースでやっていかないと間に合わない。だから今日はここまでやる必要がある。」
そう考えるのは普通のことだと思っていましたが、そうした計画性は子どもには全く期待できませんでした。
「そんなノンビリやってたら間に合わないだろ…」
時間が刻一刻と過ぎていくのがもどかしく、親は焦りまくっていましたが、子どもからは全く危機感が感じられませんでした。
このギャップを感じるたびに、焦りと怒りでイライラ…。
受験年度の小6になってもこんな感じでした。
ようやく重い腰を上げ、本人の目の色が変わり、本気モードになったのが12月。
「遅すぎるわ!」
最後のスパートは目を見張るものがありましたが、それだけに何とももったいない気がしました。
「何でもっと早くから気づかない?」
でも、受験が終わってから気づきました。
そもそも大人と子どもでは時間の感覚が違っていたのだと。
最近知りましたが「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する」という考え方があるそうです。
つまり、40歳で感じる1か月の長さは、10歳児が体感する4か月に相当する。
子どもの頃は未知のものや新しい体験が日々強く心に刻まれるため、時間をより長く感じるのだといいます。
この考え方をあてはめると、小学6年生からみた「半年後」は、親にとっての、1年半とか2年先のことくらいに思えていたということ。
どうりで「天王山」といわれる小6の夏が終わっても危機感をもてないわけです。
このことを知っていたら、親も「諦め」がつき、「そういうもんだ」と割り切って、無用な焦りや怒りを感じなくて済んだかもしれません。