最難関中学に来る子は、地元で天才、神童などと呼ばれてきたような子がずらりと勢ぞろいするイメージ。
全統小上位や模試上位はあたりまえ。
そんな集団の中に身を置くと、天才や秀才と呼ばれてきた子も、ごく平凡な存在でしかないことに気付かされます。
周りから「すごい」と言われてきたけど、全然「普通」だった…。
このギャップがあたえるインパクト、「天才が凡人になる衝撃」はなかなか想像しにくいです。
恐ろしいことに、そんな優秀な集団の中でも、断トツに飛びぬけてできる「超天才」がいることに気付きます。
ズバ抜けていて、いくら努力しても何をどうやっても届きそうにない。
上には上がいた…。
そんな存在を間近で目にして、世界の広さを知ることになります。
そうした中で、学校生活になじんでいきなから「自分の居場所」を見つける旅が始まります。
部活に精を出したり、自分が興味があることを極めようとしたり。
そこに楽しみを見出す子も多いです。
遊んだり、ゲームにのめり込む子もいます。
何をしたらいいか見えなくなり、全く勉強しなくなる子もいます。
勉強は出来て当たり前、という雰囲気の中では、「勉強だけ」できても子どもたちの間ではリスペクトされません。
運動神経がいい、絵が上手い、ピアノができる、プログラミングがすごい、腕っぷしが強い…。
勉強以外の何か、が差別化するポイントになってきます。
鉄道のことだったらアイツ、生き物のことだったらコイツ、ゲームならアイツが一番、というように、誰もが認める「得意技」を持っていることに価値がおかれます。
そういうものをもっている子は皆から一目置かれます。
優秀な中でも突出した「超天才」が、勉強以外の得意技を持っていて、とても謙虚で性格が良かったりする。
世の中、本当に不平等。
中高一貫校では高校受験がないので、6年間という時間の中で、学校生活を存分に楽しみながら、自分と向き合い、自分の価値はどこにあるのかを探って欲しいと思います。
Noteでも情報発信しています。
(親子で中学受験に挑んだ3年間の激闘の記録)