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特定の宗教の教祖開祖を

批判する目的の

執筆ではありません

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教祖開祖と言われる人物も

開眼というか

天啓を受けたあとの人生で

霊的な成長を続けると

わたしは見ている

 

 

開眼した聖人として

人間としての生を終えるまで

己を進化させて

成熟しているか

未熟な部分を

多く持っていたのか

 

精神をよくよく

コントロールできていたか

特定の何かに対して

執着などが無かったのか

それについては

物事ひとつひとつに対して

意識レベルは違ったであろうと

考えている

 

やはり

血縁者については

対応に甘い面が出るのは

当然あったと思う

 

己に降った天啓についても

解釈面で

完璧だったかどうか

 

そして

その天啓の霊的レベルも

どうだったのか

 

 

それらについては

残された史実や逸話から

推測することになる

 

そして

推測・考察する側の人間が

同じように

天啓を受ける経験が必要

 

天からの賜り物を受ける器(うつわ)

その心は

生きている人間の心と精神

 

それを受けた人間は

過去の聖人たちの

聖の部分にシンクロすることができる

それは

時空にとらわれない

 

この世には

その聖(ひじり)たちが残した

精神が生きている