大変残念なことに、私の大好きな「すんも」がちゃんこ星に帰ってしまうそうだ。

年に何回かは遊びに来てくれるか。もしくは抽選であと1年ぐらいは残れるすんもを選抜してくれるとかそういう特区的なこと、Amebaがやってくれるだろうか・・

と考えてはみるものの、希みが薄い。

というか、なぜ突然これからのタイミングで帰ってしまうことになったのか。。
謎が多すぎるというわけで、あと残り少ないすんもとの時間を大切にしたいと思います。

ということで残念気持ちを残しつつブログネタです。



2011年3月11日なにしてた? ブログネタ:2011年3月11日なにしてた? 参加中


5年前のあの日、最近は物忘れが激しくなった私でも、昨日のことのように鮮明に覚えていて
おそらく生涯忘れることがないだろう・・という一日です。


3/11の数日前から会社で勤務中に、どうも体が揺れるなあ。というかふらふらするなあ。
もしかしたら貧血かも・・という日が数日に一回は来る感じで、今思えば、
予兆だったのかな。という気がしています。

そして、3/11は会社の図書施設エリアで作業中でした。

棚のハードカバーに覆われた分厚い書籍が、カタカタカタと小刻みに揺れたかと思ったら、
足元がとられるほどの大きな揺れがおこり、

書籍棚は電動式だったのでまさか倒れることはないとは思うものの、
ボタン制御が万が一壊れて挟まれたりしたら大変だ。ととっさの判断で、
棚の持ち場エリアから何とか這いつくばるように脱出。


脱出したエリアから何とか潜れそうな机もしくはテーブルのあるエリアに動こうとするも、
揺れが大きすぎて、そこから先は全く移動できない。やっとのことでその辺にあるものにつかまって立っているのがやっとという状況でした。

そして、何とか一回目の揺れが収まった後、
皆が集まってきたテレビのあるエリアで流れている上空からの津波の映像を見て、文字通り言葉を失いました。


その後、入ってきた情報によると首都圏の鉄道が終日不通になってしまったという事実。

家に電話を入れてみんなの無事を確認しようとするも携帯が全くつながらない。

そこで何はともあれ。まずは腹ごしらえ・・ということで急いで食堂で晩御飯を確保。
何とかおなかも満たされたところで、

オフィス内の公衆電話の行列に並び100円玉を使って自宅に電話したら、
みんな無事であることが確認できたところで、

今日はとりあえず眠れるかどうかわからないけれど会社に泊まることを伝えました。

眠れるかどうかわからない。というのも別に宿直室があるわけではないので、
泊まる場合は勤務部署エリアのソファーテーブルをずらして、
そこに段ボールをしいて、コートを掛布団代わりに使って眠りにつくよりほかはなかったからです。

案の定眠れるはずもなく、結局ずっとテレビから流れる情報を見て過ごすことになりましたが、
その当時は契約社員として働いていたにもかかわらず会社側がとても手厚く
面倒を見てくれて、お菓子の差し入れはしてくれるは、深夜になったらおにぎりの差し入れをくっださるわ・・でそのおにぎりは明日の朝食にしよう・・と決め、

結局ほとんど眠りにつけないまま、朝が来てしまい、どうやら始発過ぎから、電車が動くよ。という情報が流れたので、

自宅に帰るいつもの路線ではない電車で帰ったのをはっきりと覚えています。
朝方の土曜日だというのに、ホームにはたくさんの人がいたという、ある意味特殊な光景でありました。

帰ってきて、ひと眠りしてから、PCでピグを始めたところ、その当時のピグ友さんから、
ホンとに無事でよかった・・といわれたときは、やっとホッとした。という実感がわいてきたのを今でも忘れません。


あれから5年、被災地が一日も早く本当の意味での復興を果たせることを願ってやみません。