一か月前に・・・

今日から7月ですね~という記事を書いてから、

また一ヶ月、間が空いてしまいました~^^;

 

ホームグラウンドに帰って来た、ペガサスです(笑)

 

いや~毎日毎日、僕らは鉄板のぅ~♪

上で焼かれて、イヤになっちゃうくらい暑いです!

 

昨日、7月末に亡き父の祭壇を、早々と作って頂きました!

 

それも一重に夫の肩の腱版手術の関係です^^;

少し早いけど、立派な新盆の祭壇が出来上がりました。

 

改めて向き合う父の死の現実。

 

人は産まれたときから、100%死に向かって歩き続けている。

生身の肉体を持った者は、誰にでも死が訪れます。

 

そんな記事を書いている今。。。

日野原先生の番組がテレビに映っています。

 

『死をどう生きたか』

 

その点で言えば、母は最期に『ありがとう!』という言葉を残してくれました。

乳癌の術後抗がん剤中だったのですが、

そんな私の治療を見送るように亡くなった母。

 

そんな母の死から、もうすぐ9年が経とうとしています。。。

 

頭では解っていても、何度経験しても、身近な人の死には慣れませんね。

 

上の白い蓮の花の絵は。。。

母の初盆の時に、しきりに書いていた蓮の絵の一枚です。

 

稚拙ですけど、悲しみとか淋しさとか、いろんな気持ちがこもってるな~

と今でも、絵を眺めつつ物思いに耽ります。

 

災難に逢ふ時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候

 

仏様の『安らぎ』の世界をわが住み処としている人は、苦も楽も、生も死も、悲しみも喜びも、順縁 も逆縁どちらとも、合掌礼拝で受け取る人なのです。

これは有名な良寛和尚のお言葉ですが、私達一般人から言えば、災難に遇いたくないから苦労してい るんだと言いたいところです。また死ぬのが嫌だから怖いからどうしようかと苦にしているのに、と 言う想いですが、仏教の悟りと言った世界では、こう言うのを苦労な事、あれを楽しい事と区別し、 生と死を区別し、これは悲しい出来事、これは喜ばしい事と区別・差別しているのは、人間の自我か ら決め付けた偏見で、この世の中で起こる全ての事は、本来色の無い、無色透明であって、善でも無 く悪でも無い、と言う訳です。良寛さんはそういう境地で、定住のお寺も持たず、野に設けた庵に住 んで近所の子供達と、日暮れまで遊んだと言う事です。 私達にはなかなか到達出来そうに無い境地ですが、『災い転じて福と為す』とも言いますように、自分 に発生した事をそのまま受け容れて、避けよう逃れようとせずに対処すれば良いのかも知れません。 『病気になる事は仕方無いとしても、病気に悩む事は止めましょう』と言う事を聞いた事があります。 また病気は天からのお手紙と思って有り難く受け取ってしまえば、病気と仲良く出来て却って治りも 早いかも知れません。

 

転載元→☆☆☆