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「私たちにも…来世しかないのかな」
しんしんと降り積もる雪と真紅の血。
凍てついた風に舞った粉雪がつくる白と真紅だけの世界。
舞い落ちた雪がとけて肌をすべりおちていく。
なぜかあたたかく感じる肌に触れる雪。
ああ、これは雪じゃない。
オレの…涙だ。
「…そーくん?」
腕のなかに閉じこめていたぬくもりにそっとまぶたをなでられ、情事後のまどろみをかき消された。
「泣き虫さん」
くすくすと笑みをこぼしたぬくもりをぎゅっと抱きしめると、その頬も涙で濡れていた。
「○○だって…泣き虫だろう?」
腕をゆるめ、沖田のものとは違う誰の血も知らぬ指でそれを拭ってやると誰が泣かすの?と彼女はいたずらに笑う。
「…オレじゃないよ」
愛しげにオレの胸に頬ずりをした彼女の細い腕が首にからみついた。
この腕はかつて沖田のすべてを抱えていた腕だ。
「そーくんみたいなものじゃない」
こんな頼り気のない腕で、どうやってひとりの人間の死を抱えていたのだろう。
彼女にそれを抱えさせてしまったのは、きっとオレだ。
「○○…ゴメン」
彼女をまたぎゅっと抱きしめる。
なんど触れてみても驚くほどやわらかいぬくもりをそのままで抱きしめていると、腕のなかで彼女はおかしそうに笑いだした。
その笑みに腕をゆるめると、彼女は額をコツンと合わせ瞳をのぞきこむようにまたいたずらな笑みを見せた。
「そーくん、どっちの…ゴメン?」
前世の記憶…いや、彼女にとっては何年か前でしかない、なまなましい記憶だ。
そのことなのか、デートの約束をやぶって彼女を組み敷いてしまったことなのか。
「…どっちも」
額をはなしたその唇にそっとキスをする。
あの日、ちりんと響いた鈴の音は、オレの記憶をざわつかせた。
修学旅行で友達とはぐれてしまった彼女の手に触れた瞬間、水のせせらぐ音とともに闇に光る金の眼と青空に飛ぶたんぽぽの綿毛が脳裏に浮かんだ。
綿毛をかき集めなくては。
○○がどこかへ行ってしまう。
名前もまだ訊いていなかったのに、彼女のことは何も知らないはずだったのに、オレはその名も、そのぬくもりがひどく心地のよいものだということを知っていた。
やっと、やっと○○をみつけた。
はなれようとした彼女の手に無意識で、だけど、どこかぎこちなく絡ませた指は深く繋ぎとめておかなくちゃいけないものなのだと思わせた。
そして、オレと彼女が忘れていた沖田の記憶が詰まった扉をひらいた、ほんのすこし触れ合わせるだけのキス。
唇がはなれたあと世界がかわってしまったようだ。といつか沖田が思ったように、その時のオレは思った。
けれど、その不思議なキスを重ねるうちに世界が戻されただけのことなのだとぼんやり感じるようになった。
「夢をみたの。…沖田さんが死んじゃったときの」
彼女にとっては涙しかない記憶だ。
でも沖田にとってそれは幸福の記憶しかないものだ。
「オレも…またすこし思い出したよ」
どんなこと?と、沖田の記憶を共有できる喜びに浮かんだ表情にすこしの嫉妬を感じたオレはからかってやろうと笑みをうかべる。
「泣き虫の…ダンゴムシだったことを思い出したよ」
「…え?」
わからないといった感じの彼女にすこしの思案をしてから言葉をつづける。
「いまのひとつ前なのかも。つついて遊ぼうとする子供から逃げながら、○○はどこにいるんだろうってずっと探してた。
…でも、○○はみつからなかった」
おしまいの言葉に彼女が息をのむ気配を感じ、たっぷりと間をとる。
「…それで、○○にあいたいって泣きながら…踏まれてぺちゃんこになったよ」
こんなふうにまるまった状態で。と、彼女を腕に抱いたまま身を縮ませてぎゅうぎゅうと腕と足に力をこめる。
心地のよい、ひどくあたたかなぬくもり。
沖田の感じたものよりずっと近くにいまのオレは感じることができる。
「ほんとうに…?」
オレを案じる彼女のせつなげな声に満足して腕をゆるめる。
「…ウソ」
額をコツンとこんどはこちらから合わせて言うと、彼女はもぉと頬をふくらませた。
「そーくんのうそつき」
唇をとがらせてこちらを見あげる顔にゴメンとまたささやいて、ふくらんだ頬にそっと指をすべらせる。
「こんどは…うそつきのゴメン?」
もぉ、いじわるしないでよ。なんて言いながらしがみつくように細い腕をオレの背中にまわした。
「でも…ほんとうにダンゴムシだったのかも」
思い出せないけど。つけたして、また全身で彼女を閉じ込める。
きっと、抱きしめる力までもなくなってしまった晩年の沖田の記憶がオレにこうさせるのだろう。
「そーくん…こうするの好きだもんね」
くすくすと笑みがまたこぼれて、それにつられてオレもそっと笑みを浮かべる。
「○○はこうされるの…イヤ?」
好き。
背中にある細い腕に痛いくらいの力を込めた彼女がふふふ。と幸福そうな笑みをこぼした。
「どんな…夢だったの?」
彼女の言葉に目を閉じて沖田の記憶をたどる。
白と真紅だけの世界。
泣きたい気持ちを精一杯こらえて、好いた女に抱きしめられながら血を吐く沖田。
肺からあふれる真紅に意識をうばわれながらも愛しいぬくもりを感じているうちに、泣きたい気持ちは女を不幸にしてしまうというやるせない気持ちにかわっていった。
これはオレと沖田の決定的な違いだ。
…オレと沖田は違う。
そーくん?とオレを呼ぶ声がして、その瞳をまっすぐと受け止める。
「雪が降ってた。たしか…来世しかないのかなって沖田は言って、血を吐いた」
うん。そう短くこたえるだけで彼女はなにも言わない。
きっと彼女も沖田との記憶をたどっているのだろう。
「…○○は?」
記憶をたどったとしても、新しい何かを思い出したとしても、いまという時はなにも変わらない。
彼女の記憶の波をさえぎるように言って、そのふるえる声をきいた。
「…静かに眠るようにね、でもすこしだけ笑った最期の沖田さんにキスをした夢だった」
沖田の記憶にはない、彼女だけの記憶。
「○○のおかげで…沖田は幸福だけを感じて死んでいった」
彼女の記憶にはない、沖田だけの記憶。
オレの言葉にうなずいた瞳に沖田への涙が浮かんだ。
そんな彼女を乱暴に腕にとじこめて涙までもさえぎる。
「だから…泣くなって」
うん。とちいさく声がしたけれど、彼女の涙はもちろん止まらなかった。
沖田の記憶がよみがえっていくなかでいちど、彼女との仲が壊れてしまったことがあった。
『結局、お前が想ってるのはオレじゃなくて、沖田なんだろう?』
乱暴にはきすてた言葉に彼女はわかんないというだけで否定をすることはなかった。
『わかんない。そんなの…どっちかなんて…わかんないよ…』
ぼろぼろと涙をこぼした彼女にオレは背をむけた。
それから一か月くらい彼女とは会わなかった。
毎日のようにしていたメールも電話もその日からピタリとやめて、ただ沖田の記憶を憎む日々を過ごした。
オレと沖田は違う。
大刀を神のごとく操って人を斬ることなど、真剣すらもったことのないこの身には到底ムリな話だ。
もちろん、いまは人を斬ることなど許されることではないし、しようとも思わない。
でも、その沖田の能力に見合うだけのこれと言った特技の持ち合せはオレにはなかった。
前世だとか来世だとか、科学的に証明などされっこないオレの途切れ途切れの記憶。
タイムスリップだなんて、非現実的なできごとを経験して現代にもどってきた彼女の記憶。
意味がわからなかった。
なんだって、そんなわけのわからないものを抱えて彼女と恋をしなければならないのか。
ただの高校生として出会ってふつうの恋をできたらよかったのに。
そんな半ば子どものようにいじけていたある日、己は何もしてやれないのだと彼女にしがみついたままで悔し涙をこぼす沖田の記憶を見た。
剣の天才、天魔鬼神などと呼ばれた、新選組、沖田総司のそんな苦悩の姿は衝撃のものだった。
真剣だって竹刀だって持ち上げて構えることはできても、きっとオレにはまともに扱える代物ではないだろう。
いくら沖田の記憶があったとしても、何年も乗っていない自転車のようにはぜったいにいかない。
沖田にできたことはオレにはできない。
でも、オレには彼女を抱きしめる力だって、彼女を幸福にするための時間もきっとある。
もしかすると、幕末で彼女をさんざん泣かせてしまった代償をオレは沖田の代わりに負うべきなのかもしれない。
彼女が幕末で沖田の死を背負ったのと同じように、オレもまた、沖田総司の死を背負うべきなのかもしれない。
沖田のできなかったすべてをどうしようもないくらいに愛してしまった女にオレはしなくてはいけないのかもしれない。
そんな想いのなかで再会した彼女はほんのすこしだけ痩せていた。
『あのね…』
気まずい空気のなかで口をひらいた姿に、あのときの彼女に似ていると感じた。
沖田の死を背負う覚悟を決めて、何でもしてやるんだという強い意志を携えすこしやつれていた吉野太夫に。
『私が沖田さんに出会って、恋をしたのは…』
泣きそうなのを必死でこらえる声に、オレはそのぬくもりを乱暴に抱きしめた。
無鉄砲で、腕に閉じこめておかないとどこかへ行ってしまう、危なっかしいけれど愛しい存在。
『オレに、恋するため…だろ?』
精一杯の強がりの言葉だった。
自分は沖田の代わりのような存在なのだとわかっていた。
けれど、それはあまりにも悔しかった。
それでも、彼女はうんと、たった一言で強がりの言葉を肯定し、細い腕をオレの背中に回して頬をすりよせた。
『そーくん、そーくんって…いまはそーくんでいっぱいなの』
いつかのセリフを真似て言った彼女に、オレもだよとゴメンという言葉の代わりにそっと触れるだけのキスをした。
『こんどは…おじいちゃんとおばあちゃんになるまで一緒にいて…ね?』
唇がはなれたあと細い指でオレの頬をなでながら彼女はぐしゃぐしゃの顔で笑った。
『こんどは、オレが○○を幸福にする番…だからな』
言って、またぎゅっと彼女を腕に閉じこめた。
こんどは最期の瞬間に彼女を泣かせたりなどしない。
どちらが先に逝こうともこんどは幸福に満ちた笑顔を飽きるくらい彼女にさせてやる。
『ううん、私だけじゃなくて…そーくんも。ふたりで、がいいの』
こうやって壊れてしまったオレと彼女の仲は、沖田の記憶というふたりにしかないものが繋ぎとめてくれた。
あなたたちは…いったい何をしているんです?
なんて、沖田はあきれていたかもしれない。
ただ憎んでいただけの沖田の記憶を踏み台にしてオレは前をみた。
好きになった女と過ごす時間はどんなときでも大切なものなのだと感じるためにその記憶は存在するのだと思うことにした。
そして、オレたちはちいさな地図をひろげた。
その地図にはもちろん行くべき道など記されてはいない。
こんどは途中で何が起きるのか彼女にはもちろん、オレにもわからない。
生がある限り、死というものは光と闇のように必ずどこかに存在する。
沖田の記憶からみつけたものは闇をおそれて逃げることじゃなく、泣いたり笑ったり、時にはバカみたいな冗談を言ったりしながら途中で立ち止まることがあったとしてもただ前へ、前へと進むことだ。
生きている限りちいさな地図をおおきく拡げながら果てのない旅を彼女としていく。
ふたりで流した涙も、笑い合った瞬間もすべてを宝物にして、日々、宝探しをしながら前へ、と。
「約束…破ったりなんかしないから」
腕の中のぬくもりにささやくと涙を拭いながら彼女は笑う。
「デートの約束…破ったくせに」
それとこれとはベツ。言って、乱暴なキスをする。
また彼女が欲しいと思った。
やわらかで、でもオレを痛いくらいに締めつけるあたたかなぬくもりはオレだけのものだ。
乱暴なキスの合間に落ちたあまやかな彼女の吐息に、これからデートだなんてムリだとそのぬくもりにおおいかぶさる。
「デートは…またこんどにしよう?」
上気した肌に指をはわせるとそのぬくもりがビクとはねた。
「イヤ…とは、言わせないけど?」
あまくふるえる吐息をふさぐようにキスをするとまた細い腕が伸びてくる。
「そーくんが欲しいだけ…あげる」
オレの前髪をくしゃっとかきあげた彼女はうるんだ瞳のままで笑みをうかべた。
特別なものなんて何も持ってはいないけど晩年の沖田にはなかったものをオレは持っている。
彼女を抱きしめる力も抱く力もあるし、彼女と幸福になるという未来もきっと、オレにはある。
「○○が欲しいって気持ちに…際限はないけど…?」
言うと、私もと彼女は笑う。
そして、オレの名を呼びそのからだをひらいた。
「そーくん、しよう?」
…もっと、たくさん…しよう?
【おしまい】