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もう桜も終わりかけになってきた日の朝。

旦那さんと一夜をともにしてもどってきた菖蒲さんと花里ちゃんの着替えを手伝って、二人が休んでから私は置屋の前を掃除していた。



新選組内部での粛正で命を落とす隊士さんは戦いで命を落とす隊士さんにくらべるととても多いらしい。


すべては鬼の副長と呼ばれる土方さんのさだめた法度によるもので、すこし前にその法度を犯してしまった山南さんも切腹を命じられ、その命を散らしていた。


新選組内をただすためにはそうすることは仕方のないことなのだろう。


鬼の役目を自ら背負っている土方さんを待つ私に番頭さんはそんな話をしてくれた。



「物騒な話を女子にするもんやないどすえ」



なんて秋斉さんに怒られていたけれど、番頭さんは毎日、土方さんを待つ私のためにそういう話をしてくれているのだと思う。


土方さんの背負っているものを教えてくれるために。



飛んできた桜の花びらをほうきであつめながら私は微笑む。


考えてみればあの日、もうすでに土方さんと二人で桜を見ていた。


だから土方さんとお花見はもうしていたんだ。


状況がおちついて、気まずそうに悪かったと言いに来たらお花見はもうしたじゃないですか。と笑ってあげようと私は思っていた。


きっと土方さんはそれもそうだな。と言ってくれるにちがいない。



「…今日もいい天気」



つぶやいて、空をみあげようとした私の目に飛び込んできたのは、空よりも鮮やかな浅葱色だった。



「ああ。花見日和だな。いいこで待ってたか?」



その浅葱色は額に鉢金をつけて、だんだら染めの浅葱色の羽織を羽織った土方さんの姿だった。


ほうきを片手に呆然とたちつくす私をよそに土方さんは置屋の入り口をのぞきこむ。



「すこし○○を借りる。藍屋さんに言っておいてくれ」



入り口近くにいた番頭さんに言ったのだろう。


秋斉さんは皆が無事に帰ってきたのを確認してまた部屋にもどって休んでいるはずだ。


こちらにむきなおって、行くぞと土方さんが私の手をつかんで歩きだした。



「…え?…ちょっ…ちょっと待っ…」


「待てん。…時間がねぇんだ」



さらうかのように手を引いてずんずんと歩く土方さんに私は引かれてない方の手に持っていたほうきで前をふさいだ。



「ほうきは持って行きたくないんですけど…」


「…早くしろ」



私の手にあったほうきをみとめて気まずそうに言った土方さんに背をむけて一旦、置屋までもどって、入り口まで出てきていた番頭さんに私はほうきをわたした。



「あとで旦那はんに叱られても知りまへんえ」



番頭さんがクスクスと笑って、私は笑って、いってきますとこたえる。



「一緒に怒られてくださいね。…いってきます」



きちんと髪も結わないで出掛けただなんて知られたら、京中の桜がびっくりして散ってしまうくらいの秋斉さんのお叱りをうけそうだ。


困り顔の番頭さんに見送ってもらって私は土方さんに笑顔でかけよった。



「お待たせしました」


「…行くぞ」



今度は私の手を引かずに、すこし前を土方さんは歩いていく。


そのおおきな背中をみつめながら歩く私は、胸が甘くしめつけられるような感覚をおぼえた。





土方さんが連れてきてくれたのは島原からすこしはなれた桜並木で、まるで桜色のトンネルがあるかのような光景だった。


桜がちらちらと散っていて、地面は散った桜の花びらでおおわれている。


そんな桜色の景色に呆然とたちつくしてしまうけれど、土方さんはそんな私に気づかずに歩みを進めていく。


たちつくしている私は桜色の中にある浅葱色にみとれてしまう。



早朝のせいかまだ人の姿は見えなくて、今、この桜並木には私と土方さんしかいない。


まるで桜色の世界にふたりきりで閉じこめられてしまったみたい。


そんなことを考えているうちにどんどんと土方さんは私をとりのこすかのように先を行ってしまう。


そんな私の様子に気づいて振り返った土方さんに名前を呼ばれるまで私はその場をうごけなかった。



「○○?」



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illustrated byぱんだのちはや




呼ばれた瞬間。


ざあっと強い風が私と土方さんの間をとおりぬけ、桜の花びらがまるで蝶が群れをなして飛び立つように舞った。


土方さんの浅葱色をうめつくしてしまうような桜色の蝶たちに私の胸は不安でいっぱいになる。



「…土方さん?」



私は気づくと土方さんのいた方向へかけだしていた。


ずっとずっと待っていた。


忙しいだろうからとか、あの夜に一緒に咲きはじめの桜を見たからとか、本当は待っていたのに自分で自分に言い訳をしてごまかしていた。


そしてあの時、土方さんの強い眼から逃げてしまったのを後悔していた。



「…阿呆。何をぼうっとしてやがる」



目の前には浅葱色。


頭上からは土方さんの声。


ようやくあえたのに桜に土方さんを取られてしまうと不安になった私はかけ寄った土方さんに抱きついていた。



「せっかくさらってきたってのに…桜にさらわれちまうかと思った」



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illustrated byななこ



抱きついた私を土方さんがぎゅっと抱きとめてくれて、その浅葱色に頬をよせて私も…とつぶやく。



「私も…桜に土方さんをとられちゃうかと思いました」



散りゆくたくさんの命に、舞い散る桜の花びらたち。


この浅葱色が背負っているすべてのものたち。


そのおおきさと重さに泣きたくなってしまうのをこらえながらしがみつく腕に力をこめた。



「○○」



名前を呼ばれて、腕がゆるめられて、目と目があって、私は熱を帯びた土方さんの強い眼をうけとめた。


どきんと心音がはねて、頬に熱があつまるのを感じたけれど、そらさずに私は待った。



『いざという時は待つんがええ女のすることや』



(…きっと今が…いざ…なんだよね…?)



「…今日は拒まないのか?」



土方さんがそっと笑って私の腰と背中を抱いている腕にまたすこし力をこめた。


背中にあった手にうなじをとらえられて、私がそっと目を閉じたのと唇にやわらかいものが触れたのはほぼ同時だった。


すぐ近くに感じる土方さんの気配。


熱を帯びた眼よりも熱くやわらかな感触に、はねた心音がさらにそのはげしさを増した。


しずかに唇をはなしたあと、土方さんはおかしそうに笑った。


唇が触れていた時間はほんのすこしだったのだと思う。


それでも私には土方さんを待っていた日々よりずっとそれは長かったように感じられた。



「顔…真っ赤だぞ」


「…し…知ってます」


「やっぱりガキだな。お前は」



ほら行くぞ。と、土方さんは体をはなしてぐいと私の手を引いて歩きだした。



(…そ…そのガキにキスしたくせに…)


強がりを心の中で言ってなんとか私は平常をとりもどそうとするけれど、つながれた手がそれを簡単には許してはくれなかった。



しばらく二人でだまったまま歩みを進めた。


土方さんとの散歩はいつも会話がないことが多いけれど、なんだかその分心が満たされていく気がする。




「噂は…きいてるだろう?」



じっと前を見たまま土方さんがふと言った。


私は話をうながすように、だまってうなずいた。



「…嫌じゃないのか?味方のものまで容赦なく命を奪う…血で汚れた鬼の手だぞ」



歩みをとめた土方さんが私をみつめた。


寂しそうな悲しみの色をまとった眼。


私はそっと笑みをうかべ首を横にふって、つないでいる手に力をこめる。



「…汚れてなんてないですよ?」


「汚れてるさ」



子供のように強情に言う土方さんがなんだかおかしくて、私はあたたかい手をとった。


その手を胸元に引きよせ、私はその大きな手を両手でつつみこんでそっとキスをした。



「なら…私がその汚れを落としてあげますから」



ざあっ。


また風が桜色の蝶をあたりにとばして、私は土方さんの手をそっとはなした。



こちらにむいた深い深いきれいな、やさしげに細められた眼に私はだまったままでうなずいた。


こんな眼をする人が本当に鬼なはずがない。


世界中の皆がこの人を鬼と言おうとも私はぜったいにそんなことは思わない。



すこしまえにキスをした手がそっと私の頬をなでた。


もう片方の手が私の頭をなでて、土方さんの顔が近づいてくるのを感じて私はまた目を閉じた。



落ちてきたのはさきほどのものとは違う激しいくちづけで、何度も何度も角度をかえて、まるで私の唇をなぶるような激しいもので。


私はただ土方さんにされるがまま、桜の風に吹かれながらそれをうけとめた。






「…俺もまだまだ覚悟がたりねぇってことだな」



帰り道、土方さんは照れくさそうに吐きすてた。


直後、息も絶え絶えだった私は土方さんに笑われながらようやく呼吸をおちつけてなんとか土方さんの隣を歩いていた。



「悪かったな」



やさしい声がして私はまた顔を赤くして首を横にふるふるとふった。




そのまま島原の大門までほとんど会話もなく、歩いたのだけど、それが心地よかった。


隣を歩く土方さんの表情もなんだか和らいで見えた。



「ここまででいいか?」



すぐに隊務にもどるという土方さんが大門の前で申し訳なさそうに言って、うなずいた私はあの…と言葉を続ける。



「はい。お忙しいのにありがとうございました。…あの…あんまり“覚悟”しないでくださいね」


「…うん?」


「また…今日みたいに…してくださっても…かまいませんから」



自分で言っておきながら、私は真っ赤になってうつむいてしまった。



「…阿呆が」



顔を上げると土方さんもすこし照れた表情をしていた。


でも、私の背後にチラリと視線をむけるとすぐにニヤリと口端をあげた。



「じゃあな。…頑張れよ」



そう言って私の頭をなでた土方さんは浅葱色の羽織をひるがえしながら颯爽とかけていった。


屯所のある西本願寺は島原のすぐ隣だ。



何を?と思いつつ、だんだん遠ざかっていく浅葱色の背中を私はまた、たちつくしたままみつめる。


その去り際の眼はもう寂しそうな眼はしていなかった。


凛とした新選組副長の眼だった。



(隊服姿もかっこいいんだよね…土方さんって…)



「○○はん…?いつまでそうしてはるおつもりどす?」



肩をビクッとふるわせてふりかえると、こめかみに青筋をたててこわいほど美しい冷笑をした秋斉さんが私のすぐ背後に立っていた。



(が…頑張れよって…このこと…?)



私といっしょに秋斉さんのお説教を懇々とうけてくれた番頭さんが、この日、島原中の桜の花が散ってしまったと教えてくれた…。                                                     








【おしまい】