最近ケロは調子がいい。調子がいいとブログを書ける。ブログを書けるとすっきりして気分がもっと良くなる。
またいつ堕ちるか分からないが
仕事でキャンセルしてしまったアル専門外来も予約したし、受診したら、GWは実家に帰らずどこにも遊びに行かなかったけれど、とても有意義な時間を過ごしたことを先生に話してこよう。
ところで、パートナー関係の問題を考えた時、14歳の頃からこれがずっと悩みだったから、やっとまともなパートナー関係を作れるようになれて来たのかな…と思う。
ケロにとっては、酒を呑まなければそれでいい(問題が解決した)訳ではないから、自分が何とかしたかったことを、何とかできるようになってきたことが嬉しい。
街で見るカップルを羨むことも減ったと思う
あとは家族連れが羨ましいとか。これはシンママになる前(離婚する前)からあって、何というか家族といても自分独り、みたいな感覚はずぅっとあった。
またまた家族の話。
ケロ母には、姉がひとりいる(他に兄もふたりいる。いつか、書けるようになったら伯父のことも書くかも)。
ひと回りも違うから、姉妹といっても一緒に遊んだりという風ではなくて、小学生だった伯母は赤んぼの母をおぶって遊びに行くこともあったらしい(ワカメちゃんがタラちゃんをおぶっているような感じ・・・昭和だな)
伯母は遊びに夢中で授乳の時間になっても帰らず、お腹が空いて泣く母に、およそのおばさんがおっぱいをくれたって。
どこの誰だか分からないひとに・・・と祖母は怒ったらしいけれど、昔ってすごいな・・・
でも、ケロ母の原家族も色々あってステップファミリーで、母は本当の両親の子供なんだけど、母の姉兄に関しては父親が違う、母親が違う、という風だったから、ケロ母はいわばセメントベビーだったわけだ。
ケロは散々自分の原家族の苦しい話を書いてきたけれど、母は母で原家族に対して沢山の言葉にならない思いがあったから、そしてケロはずっと聴いてきて知っていたから、仕方ない、と思うことも多々ある。
ただ、母の実家はいがみ合ったり不仲ということはなくて、どちらかと言うと、お互いに思い遣って気遣って本音が言えなくて苦しい、という感じだった。
ケロは、祖父母や伯父伯母、つまり母の原家族のみんなから沢山もらったものがあるし、学んだことも沢山ある。
↓母方祖母の話
それで、パートナーシップ、と考えた時に、ケロには、いいモデルがずっとあって。
もちろんケロの両親ではなく、生まれた時から同居していた父方祖父母でもない。
母方祖父母については、ケロはどちらも大好きで尊敬していたし、祖父母もお互いに尊敬しあっていたけれど、子供も含めてそれぞれに抱えたものがありながらの「再婚」だったからぶつかることも少なくなかった。
で、パートナーとしてケロが「いいなぁ」とずっと思ってきたのが、前述した伯母(母の姉)夫婦だった。
子供にはやっぱりそういうモデルって必要だと思う。
何を言うとか何を聴くとかではなく、両親や祖父母など、周りのパートナー関係は自然と自分の中に取り込まれるもので、良くも悪くも自分が大人になった時に再現される。
そういう意味では伯母夫婦がいてくれたことは、ケロにとってとても良かったと思う。
書き始めるとまたまた長くなりそうだから、ひとつだけ心に残っているエピソードを書くと(いや、ひとつじゃなくもっと書くかもしれないけど)・・・
伯母は、ケロ母とはお母さんが違った。
若い時は、自分の思いを貫く頑固なところがあったらしく、祖母とよくぶつかっていた。
確か小6で実母と死別しているのだけど、伯母には伯母の苦しさが沢山あることをケロも聴いてきた。
伯母には子供がいないから、ケロやケロ姉が、妹であるケロ母の次に近い間柄だった。
それで、結婚するまで伯母も「家族」というものは、自分が自分らしく落ち着けるような風ではなかったのだと思う。
ケロが何でも一人でやる、と書いたけれど伯母もそういうところがあり、でも昔、炊飯器を買った時のお話。
それまで、炊飯器が当たり前の頃になっても、ずっーとガス台で火の調整をしながらお米を炊いていたから、伯母の家のご飯は本当に美味しくて、小さい頃遊びに行くと、いつもおにぎりを作ってもらっていたのが懐かしい
でもそのお釜が壊れて、とうとう初めて炊飯器を買うことにした。
お米を研いで、水を入れてセットして、ボタンを押す。あとは炊けるまで待つだけ。
今なら当たり前の話だけど、はじめちょろちょろなかぱっぱ・・・を毎日やっていた伯母の家庭からしたらなんて画期的!
それで、いざご飯が炊けた時に、伯母はその場にいなくて伯父が炊飯器のそばにいたのだけど、伯父というのは、家の中の事でも伯母の事でもとても関心を持っている人で。
ご飯をどうやって炊いていようが関係ない、自分は食べるだけ、なんていう人じゃあなかったから、新しい炊飯器を選ぶのも、もちろんのこと伯父が一緒だっただろうし、カタログを集めてどれが一番いいか、決めるまでしつこくリサーチするのは伯父の方だった。
(※余談:伯母夫婦が唯一喧嘩をするのは、電気屋さんに行った時だけだった、って聞いたことがある。
決めるまでに伯父があんまり長いもので、何でもいい・・・というか直感で決める伯母は疲れて来て喧嘩になっちゃって、伯父が先に帰っちゃうんだって。)
そうそう、そして、ご飯が炊けた、という時。
伯父は、急いで伯母を呼びに来たという。
「炊けた炊けた!!!一緒にお釜を開けよう!!!!」って。
伯母は、「初めて炊飯器でごはんが炊けた」、というその瞬間を、伯母と共有しようとした伯父のその思いにハッとしたと話してくれた。
こんな風にいつも思っているんだな・・・と同時に、こんな風に誰かと一緒に喜ぶとか楽しむとかしたことなかったな、と。
まだ未婚だったケロは、その話を聴いていいなぁと思っていた。
生きていればいろんなことはあるけれど、同じように感じられる人と、思いを共有して生きていきたい。
辛いことでも楽しいことでも子供の成長でも、あとから「あの時ああだったよね」、と振り返ることのできる人と一緒に生きていきたい。
ケロはそう思った。
今もそう思っている。
だから、パートナー関係に関するケロの欠陥は、何としても何とかしたい
書いてみたら、ケロのこころの中には温かい話も沢山残っているんだな。
読んで下さってありがとうです