映画「のぼうの城」オープニングで豊臣秀吉(市村正親)が
「決壊せよ~」の号令ではじまる「備中高松城水攻め」は
戦国の世において、まさに時代のターニングポイントです。


NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の影響もあるのか新しいのぼりがたっています。
のぼりの向こう側が高松城の跡地になります。

「備中高松城水攻め」からはじまる時の流れ
それは豊臣秀吉と黒田官兵衛のコンビが最も輝きを放つ時の流れとも言えます。

高松城水攻め~本能寺の変~中国大返し~山崎の戦い~清州会議
一連の流れはわずか2か月の出来事です。
これにより秀吉公が一気に天下取りへ近づいたことは間違いありません

一連の流れ(高松城水攻め~清洲会議)をドラマにすると
大河ドラマの主役級が一堂に会することになります。

しかし、高松城跡を見てまわると重要人物の存在に気づきます。
それは、高松城主「清水宗治」です。


(清水宗治公 首塚)
本丸跡地には宗治公の首塚があります。



「水攻音頭」と呼ばれる歌がありました。
内容は宗治公をたたえる歌となっています。

織田方と毛利方の両方から引き抜きがあった宗治公は義を重んじ毛利方に留まりした。
秀吉公率いる3万の兵に対し5千の精鋭で互角に戦かい
水攻めにて勝敗決した時は毛利家の存続と城内の兵の命と引き換えに
切腹するいさぎのよさは
秀吉公をもって「武士の鑑」と称されました。


(辞世の句 浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して)

水没した高松城より船に乗り、舞を踊って辞世の句を残し、切腹をする様子は
その後の武士の切腹の価値を変えたと言われます。


(資料館のなかには実際に水没した際の写真がありました。
大雨が降ると水没する様子がわかります。)

宗治公の切腹がなければ秀吉公の中国大返しは無かったでしょう
高松城水攻めから始まる秀吉公の天下取り、スタートボタンを押したのは
宗治公だったのではないでしょうか。

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