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ロリー・バーンによる空力デザインと”ユナイテッド・カラー”のキャッチフレーズのとおりのカラーリングで目を惹いたベネトンは90年代に入って金持ちタニマチ的オーナーの道楽的チームからチャンピオンシップを争うトップチームとなっていきました。
1991年シーズンのマシンB191はロリー・バーンに替わって招聘されたジョン・バーナードが手がけたマシンで新たにタイトルスポンサーとなったキャメルイエローが中心になったカラーリングとあわせてそれまでと印象を一新しました。
しかし91年はトップチームへ脱却の生みの苦しみがあったシーズンでせっかく招いたけどあくまでワンマンなバーナードを切って新たにトム・ウォーキンショーとタッグを組みそれとともにロス・ブラウンの加入、そしてロリー・バーンの復帰、仕上げは若きミハエル・シューマッハー(それまではシュマッヒャーとか言ってました)をジョーダンから掠め取るなどなど騒動が多くありました。

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エンジンはV8のフォードHB、バーナードの希望かV12の搭載も考慮して開発されてた様に思いますけどどうだったでしょう。
タイヤはその頃言われた4強チームで唯一のピレリユーザーでそれにより少しリアタイヤの幅が狭いスペシャル仕様の優先権を得ようとしたものでした。
ただし結果的にそれは優位とはならずピレリは91年限りで撤退しています。
90年のティレル019を始祖とするハイノーズはいち早く取り入れられましたが、ティレルと異なるのはいわゆるコルセアウイングではなくナマズひげとも言われた2本のステーで一枚のフロントウイングを吊り下げる方式を採用したことでした。
これはコルセアウイングよりもウイングの効果を多く得ることができ以降ハイノーズとともにこの吊り下げ式が主流となって行きます。

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ドライバーはネルソン・ピケと当初は90年終盤の活躍でシートを得たロベルト・モレノでした。
マンセルのポカ?によるタナボタなカナダGPでの勝利が唯一、ピケはこれが最後の勝利となりました。
その時の今宮さんの解説の印象によりピケらしく顔をちょっと上げたように乗せてみました。

キットはウエーブからジョーダンに続いてのレジンキットでした。
ジョーダンにはウイングの翼端板などエッチングパーツでしたが、ベネトンはその辺りも含めてウイング類はホワイトメタルとなってました。
タイヤとホイールはハセガワのパーツが入ってましたがここで一計、ロッソのフェラーリ642のリアタイヤはハセガワ製と比べると若干幅が狭い気がしてました。
ならば前述のピレリスペシャルタイヤとして使えると思いこのベネトンとフェラーリとタイヤをトレードしています。
タイヤが細くなった分、ホイールの内側のリムを削り取っています。