こんばんは。緑子です。FPのテキストがチンプンカンプンすぎて泣けます魂が抜ける


さて、今日は私の中学時代のお話をしようと思います。大昔ではありますが、私はいわゆる「お世話係」を先生からさせられていました。中学2年生の頃です。今の時代にこんなことがあれば、テレビのニュースになるかもしれません。

その当時の私は人生で2番目にイジメられていたと思います。クラス中にイジメの主犯が集中していると思って下さい。モノを隠される、男子の前でスカートを捲られる、靴に画鋲もありました。それでも、私は不登校になることができませんでした。別の中学校に通うにも、制服などを買い替えたらお金がかかりますよね?それに、転校先で経緯を知られてまたイジメられるかもしれません。そのリスクを考えると、耐えるしかできなかったのです。


私はこの1年で、2人の女子のお世話係をさせられました。

1人目の女子は、完全な不登校でした。病気がちらしく、卒業式にも来なかったような気がしました。1度だけ学校に来たことはありましたが、動きがスローで歩くことや声を出すのも煩わしそうにしていました。彼女は学校に来ないため、プリントなどを家まで持っていかなければいけません。委員長含む同級生たちは皆面倒くさがり、担任は私を指名しました。イジメに黙って耐えられるのなら、お世話係くらい大したことないと思ったのでしょう。

私も最初は彼女と親しくないからと断りましたが、担任に「内申点が下がるかもしれないが、いいのか?」と言われたので、渋々プリントを彼女の家まで届けることになりました。しかも、彼女の家は私の家とは逆方向…


記憶の中の彼女の家は常に薄暗く、ご両親は共働きなのか、人の気配が全くありませんでした。チャイムを鳴らしても誰も出て来ず、代わりにどこからか「宿題なら玄関に置いていって」とおじいちゃんらしき人の声がするだけでした。家に届けるだけならまだマシか…と思っていたのですが、さらに大きなお世話係が回ってきました。


担任が「彼女を修学旅行に連れて行ってあげたい」と言い出したのです。


うーん…当時の私は困惑しましたよ。学校に来たがらない生徒が、学校行事に参加するものなのか…しかし、担任と他のクラスの担任と学年主任が話し合い「彼女に学校に来てもらうようお世話係に説得させよう」と決まった模様…私は怒った顔の担任から「引き受けてくれんか」とだけ言われ、内申点を盾に新たなお世話をせざるを得ませんでした…しかし、訪問したときの彼女はベッドから起き上がることなく終始無言で、声だけのおじいちゃんも「また来てやってくれー」とだけ言い、姿を見せることはありませんでした。


そして修学旅行当日。当然彼女の姿はありません。このまま出発かと思いましたが、担任は私に彼女の家まで行くように命じました。出発時間ギリギリにです…

何が悲しくて重たい荷物を持って、学校に来ない同級生を修学旅行に誘う必要があるんでしょうか?そもそもそれって、担任も参加することじゃないのか?色んな思いがグルグルと頭の中を回っていました。彼女は布団を頭まですっぽり被って寝ていました。私が来たとわかると、彼女はさらに布団を深く被り「迷惑だからもう来ないで…」と力なく言いました。彼女の部屋には旅行に行くような荷物もなく、最初から修学旅行に行く気がないことを物語っていました。学校まで戻り、担任に経緯を報告しましたが、担任は「働きかけが悪かったんだな」とだけしか言いませんでした。他の生徒は既にバスに乗っていました。もしかしたら私は修学旅行に置いていかれたかもしれなかったのです。


修学旅行から帰ってくると、私の親は「無理やり病気がちの子を連れて行って、その子が倒れでもしたら、間違いなく先生はあなたの責任だと言い張るよ。逆に良かったんじゃない?行かないって言ってくれて」と話していました。


これ以後、私は彼女と関わることはありませんでした。何故なら、2人目の女子のお世話係が回ってきたのです。


2人目の女子は、イジメの主犯格でした。中学生なのに茶髪にピアスでルーズソックスを履いていました。今の時代では割と珍しくないのかもしれませんが、当時は田舎と言うこともあり、彼女かなり浮いていました。近所の人からも学校に「あんな服装の中学生は見たことがない。生徒の教育はどうなっているんだ?」との電話がかかってきたと全校集会で聞くほどです。彼女は授業をよくサボっていました。だけど私は安心していました。サボっている間はイジメられないからです。ところが…先生たちは違いました。彼女が授業に来ないと「お世話係が彼女を探して教室に連れてくるのが当然」だと思っていたのです。


ある国語の授業でのこと。今日も彼女はサボっています。すると先生が


「吉田さん(仮名)はまたサボっているのかしら。きっと保健室ね。緑子さん、呼んできてくれる?


と普通に名指していました。この間、私は授業を受けられません。相手はイジメの主犯格なので、私が来ると当然暴言を吐かれて終わりです。失敗に終わって戻ってきたら授業はほぼ終わっています。誰もノートを見せてくれないので、自分で勉強するしかありませんでした。義務教育とは一体…

他の教科は失敗で済みますが、担任のときだとそうはいきません。彼女に拒否されて戻ってきた私に担任は「どうして戻って来る?声をかけ続けていたら彼女は来るから!」と怒っていました。


ある日私はすごくお腹が痛くなり、保健室に行きました。保健室は、彼女以外にも学年を問わず授業をサボっている生徒で溢れかえっていました。保健室の先生は「保健室が子どもたちの溜まり場になれば…」と言っていたので、たくさんの生徒が騒いでいても終始ニコニコしていました。

私はベッドで横になっていましたが、そこへ彼女がカーテンから覗いて大きな声を出したり、わざと音を立ててきました。先生は「もう、吉田さんったら困ったわねぇ」と止めることなくニコニコしていました。耐えられず私は「もう授業に戻ります…」と言いましたが、先生はずっとニコニコしていました。これを聞いた親が「何のための保健室なんですか?」と学校に聞いても、担任は事なかれ主義でした。


しかし、私に決定的な事件が起きます。

校内放送で、校長室に呼ばれたのです。呼んだのは学年主任でした。私は怒られるのかと思ったのですが、学年主任は私にこんな話をしました。

・イジメの主犯格が授業に来ないのは、ある意味クラスで孤立しているからだ

・彼女は今1人で悩んで苦しんでいる

・イジメの痛みをわかっているお前なら、助けてやれるはずだ。友達になってやってくれ

…私は泣いていました。声を出して号泣していました。だって、悔しかったんですもの。今までの私のSOSは無視してきたのに、何故自分からドロップアウトした生徒には手を差し伸べるのだろうかと…

泣いている私に学年主任は「誰かのために泣けるお前に頼んで正解だった」と笑っていました。何だよこの美談。


それから私は何かが吹っ切れたかのように、お世話係をするフリをして、彼女のことをスルーし始めました。イジメのターゲットにしていた子から助けられても、プライドが傷つくだけでしょうしね。結局彼女はその後喫煙問題を起こし、不登校の彼女も高校には行かなかったようです。


私がお世話係をした結果は、不登校の彼女には追い出され、イジメの主犯格からはもっとイジメられて、先生は私の力不足さに失望し、私自身もひねくれてしまいました。誰一人幸せにならなかったのです。


この経験は私にとって何の意味があったのでしょうか?20年以上経っても答えは出ません。彼女たちの親御さんもどう思っていたのでしょうか…以上のことから、お世話係をさせられている子どもたちが一刻も早く報われることを願わずにいられません。お世話係にお世話してもらえるのは当たり前ではありません。イジメられて学校に通えないわけでもなく、サボりたくて学校に来ない人はそれで良いと思います。ただし、そうなったことで自身が不利になっても、それは自己責任でしょう。私も子どもができたらそう教えたいですし、手を差し伸べてくれた友達がいれば感謝しなさいと言い続けようと思います。