最近になって気づいた「飛び地」。梅雨の合間に散歩に出かけてみた。
小田急線鶴川駅が起点。鶴見川を越えるとおよそ「川崎市麻生区岡上地区」。
岡上(おかがみ。昔は、おかのぼり)
・多摩丘陵および複雑な谷戸を形成。面積は1.45 km²。
・川崎市麻生区の飛地。(南)横浜市青葉区、(東西北)町田市、鶴見川が境界
・市街化調整区域と農業振興地域が多く現在でも農村風景が残っている。一方で、一部で急傾斜地で住宅開発が行われていてかなり興味深い。
・立地・交通面から町田市を越えて柿生とつながりが濃い。明治時代になり単独自治体として存続したが、昭和14年に、柿生と共にに川崎市に属した。
(地図:国土地理院2万5千分の1地形図)
・岡上の中心部で面積の大半を占める丘陵地は、土壌は良いがで傾斜地で耕作しづららかった。1973年から岡上土地改良区事業を開始し、1985年に岡上営農団地が完成。この結果、農用地は14haから25haに拡大され機械化も可能となった。
・赤線(縦)は痩せ尾根上で、東側の急傾斜地に住宅開発(切土で急傾斜化?)
岡上神社
・鶴川街道を鶴見川の低地から坂を登ったところに鎮座
・村内の剣神社、日枝山王社、諏訪神社、宝殿稲荷、開戸稲荷の5社を明42年合祀。
・明治39年神社合祀の勅令に基づくものであろう(40万社→7万社)。
割と高い場所にある
神社の南側から農道的な道を東向きに進む。
谷を越えての台地上のビニルハウスのあたりが岡上営農団地。
(参考)岡上営農団地(農業振興地域)
・岡上地区は古くから農業地域であったが、起伏の多い丘陵地帯で、山の斜面や谷あいに一部開けた部分の平坦地を利用して農業を営んでいた。当時の主力産品は、禅寺丸柿、養蚕、鶏卵などであった。
・昭和40年代に入ると、周辺の宅地化が急速に進むと、新住民から「養鶏」に苦情が頻発。都市計画法改正にあわせて、岡上地区も「市街化区域」と「市街化調整区域」に色分けし、また昭和48年から総面積約36haの大規模な土地改良事業がスタート。
・農業用水の不足に対して大型ポンプを導入。昭和60年に竣工。
果樹林が広がるが、これが何か不明であった。調べたら「梨」だった。多摩川の周辺は水はけがよいため梨の産地なのだそうである。
営農団地の高台から下った谷戸には、水田が広がる。
山の斜面にまで梨ばかり
急坂を登りきると、南北の伸びる尾根筋に細い道が伸びるのだが、実は左右は急坂で痩せ尾根状態。正直、ここに住宅街があることはかなり驚いた。
急傾斜地の看板
岡上地区の住宅街(傾斜地)には、1~10まで番号のついた坂道がある。
過酷そうな8~10番を見に行ってみた。
(八番坂)
(九番坂)
一番奥で左折しているが・・・
なんだこれ(実際行くと驚く)
(十番坂)上部で九番坂とつながっているので下りスタート
ヤバいね。左右に階段が切ってある。雪なんか降ったら12本爪アイゼンでも危険
谷底(一番下)の家を壊していた。すごいでしょ。
この地域の住宅開発は昭和30年代で、和光大学の正門の向かいあたりの斜面だったみたいである(「住宅開発秘史」三浦展著)。昭和36年の最初の入居当時は、水道・電気なし状態で、自分で掘った井戸水と雨水で生活を凌いだらしい。この地は水田と狭い農道だけであったが、農民が農道を拡張したのをきっかけに住宅開発に至った。
和光大学の敷地に沿った道を辿り、鶴見川に出る。鶴川駅より帰宅。
「百合ヶ丘」という小田急線の駅があるが、かつての多摩丘陵は夏にはヤマユリが至るとこに咲いていたという。現在はほぼ失われてしまったが。
2~3時間で十分回れる割には、変化があって楽しい散歩道であった。さすがに真夏はやめておいた方がいい(笑)