ケロ子です。


AM 10:00

今日は朝から旦那さんに怒られた。

昨夜の私の病室での仕事が原因だ。

毎晩病室で仕事するなら、ケロ子が眠れてるか気になるので家に帰って休んでほしい、との事。

私は一夜も離れたくはなかったが、旦那さんの言うことはもっともだ。

旦那さんが言うには、私を毎晩家に帰して大部屋に帰ろう、と。

個室は値段高いし、これから治療にかかることを考えたら節約しないと、と。

旦那さんは正論だ。

 

さっそく看護師さんに相談して、大部屋に移動させてもらう事になった。

部屋を移って旦那さんはよく眠っている。



 

AM11:00 
荷物を急ぎまとめて大部屋に移動すると、
以前と同じ4人部屋だがとても広い病室だった。大きな棚も冷蔵庫もあった。
棚のところに板を引き出すとテーブル代わりに使えるから、昼間に仕事もできる。
ばっちりだ。


AM 12:00
お昼を食べてから、旦那さんを連れて敷地内のカフェでお茶をした。
外はポカポカいい天気。久しぶりの外食に旦那さんは嬉しそうだ。
あったかいラテをゆっくり味わっている。
そこへ旦那さんの兄弟へ、東京女子医大の小児科の脳外科医の先生から連絡が来た。
外来時間後にお時間を頂けるそうだけど行ける?と兄弟からの連絡に、
いつでも行きます!!!とお返事。


PM 17:00
東京女子医大の小児科の脳外科医の藍原先生からお電話を頂いた。
電話コーナーへ急ぐ。
今日の19時、外来診療時間後に患者を連れて来れますか?との事。
必ず行きます!!と力強くお返事して電話を切った。
東京女子医大の場所は今いる病院からタクシーで30分はかかる。
車いすの移動なので、余裕を見て18時には出ないといけない。
急ぎタクシー会社に電話して18時に病院の入り口に来てもらうように手配した。


電話を切ったらすでに17時半になろうとしていた。
この後、今いる病院の食事がある。

外出できるだろうか・・・?
いや、何としても出ないと!!!
ドキドキしながら病室へ戻った。


病室へ戻ると、すでに夕食がおいてあった。
旦那さんは私が戻るのを待っていて、ごはんは手付かずだった。
パジャマ姿の旦那さんの口にご飯を押し込んで
大急ぎでマフラーをぐるぐる巻きつけながら、事情を話す。

旦那さん

「病院から出られないでしょう?どうしよう?時間に間に合うかな?」


ケロ子

「しーー!大丈夫、私に任せて。いいから早く食べて。」
旦那さんはリスみたいに大きくなった頬袋を上下に動かして必死に食事を飲み込んでいた。


PM 17:45
旦那さんのパジャマの上にマフラーとコートを装着させて、ご飯を食べ終わってから食膳を配膳室に戻す。
旦那さんを車椅子に乗せてナースステーションの前を通過。
ケロ子「ちょっとコンビニに行ってきます。」
と看護師さんへ頭を下げてご報告し、足早にエレベーターへ。
ダンクをきめるような勢いでエレベーターに乗り込む。
エレベーターの中の鏡に、顔を引きつらせながらも車いすの上で必死につかまる旦那さんが見えた。
急いで病院の正門を目指す。


外に出る入り口を出る時、呼び止められないかと心臓がどきどきした。


PM 18:00
病院の正門にタクシーが見えて急いで乗り込むが、
病院から貸し出されている車いすが大きすぎてタクシーのトランクに入らない。
タクシーの運転手さんの積み上げがかなり難航。
待つ間生きた心地がしなかった・・・。
しかも道は渋滞。もう2人して泣きそうだった。


PM 19:08
タクシーを急かして、何とか東京女子医大に到着。
着いたものの、今度は夜で暗くて指定された病棟の場所が分からない。
半泣きでうろうろしていると、ちょうど通りかかった先生が外来の脳外科の場所を教えてくれた。
やっとのことで、東京女子医大の脳外科へ到着。
息を弾ませて診察室前で待つ。心臓がどきどきして飛び出しそうだった。
名前を呼ばれて診察室へ入ると・・・・

ネットでたくさん記事や写真を拝見していた、村垣先生ご本人がニコニコと待っておられた。
すごく驚いた!


旦那さんの兄弟のご紹介の藍原先生や他の先生がいらっしゃるものと思っていた。
お手元には、ケロ子がまとめた病状の経緯をまとめた書類を持っていらっしゃる。


まずい、その書類には今の病院の医師に言われた余命半年と書いてある。。。!

慌てて余命の記載個所を旦那さんに隠すようにして、別に出力してきた経緯をまとめた書類を渡して旦那さんを診て頂いた。

モニターには事前に送付していた旦那さんのMRI画像が表示されていた。

先生は暖かく、静かでゆっくりとした口調で問診をされる。


村垣先生
「確かに難しい病状です。おそらく神経膠腫でしょう。脳腫瘍なのは間違いないです。
 まずは生検を行い調べて治療方法を考えます。
少し長い厳しい戦いになりますが、うちでやれることがあります。
一緒に頑張りましょう。」

そう、にっこりとおっしゃられた。


嬉しくて涙で目が見えなくなった。
主人を何とぞよろしくお願いします!!!
と頭を下げた。
旦那さんもお願いします、と鼻をぐずぐずさせながら頭を下げる。
感動していると、

村垣先生
「しかしどういった経緯でこちらに?」

涙と鼻水でぐずぐず言いながら、
難しい病気と分かって、必死で検索したら村垣先生のお名前にたどり着いたこと、
東京女子医大の小児脳外科の藍原先生が旦那さんの兄弟とお仕事をしていてご紹介いただいたこと等を説明した。

あー。なるほどねーと村垣先生がおっしゃっているところへ、
奥の扉ががらっと開いて、背の高い先生が顔を出された。

藍原先生
「遅くなってごめんなさい。小児科脳外科の藍原ですー。
いやー、あなたが15歳以下だったら僕が執刀したんですけど・・・。
成人されていたので、うちのトップの村垣先生にお願いしておきました!」


村垣先生
「今日藍原先生にばったり会ってね。
 画像を見せてもらったんですよ。」


藍原先生
「そう、ほんとに偶然、学会からお帰りになった村垣先生とエレベーターで一緒になってね。
相談したんです。村垣先生、うちで出来そうでしょうか?」


村垣先生
「うん、そうしようと思っています。さっそくベッドを手配せねば。。」

この時、ケロ子はすっかり舞い上がっていて
旦那さんが別の病院に入院していることをすっかり忘れていた。

えーと、先生実は。。。としどろもどろなケロ子。


その時、村垣先生が不思議そうな顔でふと旦那さんのパジャマの足元をご覧になった。
旦那さんが履いているスリッパにはばっちりと今入院している余命半年と伝えた病院名が・・・・。滝汗

ひぃ。ばれちゃった。


村垣先生
「えっ?!入院先から抜け出してきたの?!」


ケロ子
「すすすすすみませんっ!!! 
 今の病院の担当医には入院してから1度もお会いできず、ご相談ができなくて。
 やむなく抜け出してきました・・・。申し訳ありません。
こちらに転院したいです。お願いします!!」


藍原先生
「えええぇぇ?!入院中だったの?!あちゃぁ・・・・。」

顔を見合わせる先生達。


村垣先生
「病院同士の情報共有、引継ぎの事もあるし、まずは今いる病院をきちんと退院して、それから転院しましょう。今日は医療相談として下さい。
僕がとても信頼している新田先生という先生がいます。
今週に新田先生と入院について相談をして下さい。
今の最速のベッドの空き状況は月曜日ですが、また状況も変わってくるでしょう。」


藍原先生
「とにかくよかった!では村垣先生、どうぞよろしくお願いします。
 旦那さん、また病院でお会いしましょうね!」

元気に退出される藍原先生にもお礼を伝えた。


村垣先生がてきぱきと自らお電話で来週からの入院、検査の手配をして下さった。

村垣先生に何度もお礼をお伝えして、東京女子医大を出る。

心がパァッと明るくなった気持ちだ。


さぁ、今度は消灯時間までに今入院している病院のベッドへ旦那さんを戻さないと・・・!!!
走れ!!!ケロ子!!


PM 20:40
タクシーで急ぎ入院先へ戻ってナースセンターへ戻った旨を伝えてベッドに旦那さんを寝かせる。
旦那さんは少し興奮気味だ。

明日は今の病院の医師にやっと会えるので転院の相談をしないといけない。
今日はいろんな方のお気持ちがスパークした素敵な日だった。


旦那さんの記録はまだまだ続きます。


※注意※
東京女子医大は、ツテがないと受診ができない、と言うことはありません。
どちらの病院でも、紹介状を書いてもらえば、東京女子医大の受診が可能です。

ケロ子と旦那さんの場合は、最初の入院先で1週間先生に会えず、なんども看護師さんに医師と話したい旨を伝えましたが忙しいとの事で相談ができませんでした。
それで仕方なく、病院を自力で探してるところに偶然家族から紹介してもらえました。