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ケロ日記・福田雅一

コメントでもいただきました。


昨日、4月19日、

福田雅一選手の命日でした。



福田くんねえ、


1996年に、レッスル夢ファクトリーでデビューしてね、

翌年には、藤波さんの無我にも参戦、

新日本プロレスのリングにも上がりましてね、

99年の1月、正式に新日本プロレスの選手になったんす。


10月に硬膜下出血で欠場しましてね、しばらく、治療に専念してたんです。


医師からOKがでまして、復帰したんす。


が…


4月14日、

気仙沼大会。

ヤングライオン杯リーグ戦、 対 柴田。


緊急入院。


そのまま、

4月19日、

かえらぬ人と…。




自分、福田くんちゅうと、

まず浮かぶのが、

試合してる姿とかじゃなく、


病院で横になってる福田なんです。

頭を開け(出血で悩が腫れるので、頭蓋骨をきりはずすんす。)

目をあけない、
口も聞けない、

意識のない、

福田雅一 なんす。



みんなが、大声で、

耳元で、

名前を叫ぶと、


少しだけ、少しだけ、

脳波が反応する、

福田雅一なんす。



その脳波の反応が、我々の希望だったんす。


もう、試合なんて出来なくてもいい、

命だけは、

命だけは…。


福田は、絶対にこの闘いに勝つと、

信じてました…。



いい子だよ。

礼儀正しく、

素直で。




思いおこしても、


…つらいなあ…




何とか、防げなかったかと、


今でも、悔いはあります…。




2000年4月19日。




もう8年…?

まだ8年…?



自分ねえ、

福田の名前を、魂を、新日本プロレスに、プロレス史に残したくて、


「フクダメモリアル・ヤングライオン杯」

を企画、提案した事あったんですが、

会社側は、採用してくれなかったすね。



もう二度と、

こんなつらい、悲しい事は、起きてほしくない。



だから、

今の、

プロレスを、

試合を見てると、


正直、


怖い…。



以前も書きましたが、

選手の命を守るのも、

会社の最重要の仕事です。



あらためて、


合掌。