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ケロ日記・初めてのサイン

昨日、気力、体力共に26時15分までもたず、ワールドプロレス 見れませんでした。

んー、残念…かな?

昨日、放送あったんすよね?
たまに、ない時ありやすからね。


さてさて、少し前に、サインに関しての質問がありましたですね。

自分、この社会に入って、初めてサインしたのって、どこだったか、覚えてないのですよ。

リングアナになったシリーズ中だと思います。


サインってね、最初、全然考えてなくてね、頼まれて困り、普通に名前、書いたと思うんすよ。


ああ、悪い事したなあって反省し、家でね、新聞紙に書きまくり、考え、練習した覚えありますわ。


ほとんど、今のサインと変わってない思いますよ。
もう少し、縦長でしたね。
それにもう少し、丁寧だったかも。

ずーっと書いてる内に簡素化されていき、より早く書ける様になっていき、今のになっていったんですね。



一番最初に書いた自分のサイン、もってる方いたら、凄いっすよね。

昭和55年の8月から9月にかけてのシリーズで、自分からもらった方がおられたら、それが、自分の、一番最初のサインかもしれませんね。


ところでみなさん、一番最初にサインもらったプロレスラー、覚えてますか?

誰か知り合いから、サイン書いてある色紙とかもらったんじゃなく、直接、自分でもらった物で。


自分ねえ、多分、ザ・デストロイヤー選手だと思うんすよ。

全日本さんの試合会場で、売店でね、デストロイヤー選手が売ってた、マスク、だらーとした、販売用のマスクっすけど、買って、そのだらだらマスクにしてもらったもんですよ。

場所は…あれー、覚えてなーい。


新日本でいうと、はい、永源選手でした。

永源さん、自分の試合が終わると、セコンドつかず、ロビーをうろうろしてる事多く、みんなパンフレットにしてもらったりしてましたよね。
結構、気軽にサインしてまして、自分も、パンフレットにしてもらいましたよ。

永源さんにサインもらった方、多いんちゃいますかね。

そのパンフレット、今でも、ちゃんと、ありますよ…たぶん…。

場所は、青森県は弘前大会だと記憶しております。



話しはころっと変わり、
いやあ、今日の相撲、いい相撲でしたね。
手に汗握る、まさにそんな闘い。
残念ながら朝青龍、負けてしまいましたが、相撲見てて、これだけ、ハラハラドキドキしたの、めちゃ久しぶりっす。

今場所、盛り上がりましたよね。
来場所もね、どうなるんだろうって、また盛り上がりそうですね。

この注目度が高い間に、若いスターが出てきたらいいんすけどね。
出てこなきゃいけないんですけどね。
大相撲にとって、今、大チャンスですよ。


プロレス界は、まず、その大チャンスをいかにつくるかを考えなくては…。