レーサー、すなわち競技車両に近いバイク、それがレーサーレプリカです。
本物のレーサーに対する忠実度は色々で、形がそれなりに似ているに過ぎないものから一部の部品を共有しているもの、はたまたほとんどがレーサーそのものであるものまで色々です。
レーサーレプリカという言葉自体はいまやほとんど使われなくなりましたが、レーサーレプリカに該当するバイクが無くなってしまったわけではなく、むしろ逆に、隆盛を極めているとすら形容可能なほどに栄えています。
その始まりは、日本では1980年代中盤でした。
RG250ガンマ(1983年)です。アルミフレーム、セパレートハンドル、カウリングとレーサーのみが持つ要素をてんこ盛りにしたこれは絶賛を持って迎えられ、その後のレーサーレプリカブームの火付け役となりました。その後十数年、250ccの2サイクルレーサーレプリカは競技志向を深め、爆発的に進化し、良くも悪くも公道とサーキットを席巻した末に消え去りました。2サイクルレーサーレプリカの命運が尽きた原因はいくつかありますがもっとも大きな要因は環境規制で、環境規制が無ければこうした小型軽量大出力の魅力的な乗り物が消え行く事は無かったことでしょう。
この画像で見る限り、このバイクは前輪依存度がかなり低いようで、一輪車に前輪がついているかのような印象を受けます。タイヤの性能自体がそもそも低かったという事なのでしょう。後にラジアルタイヤが装備され、そのグリップに対応した高剛性の車体となっていくにつれて前輪の仕事量も増えていき現在に至ります。
これは現在のいわゆるレーサーレプリカ(GSX-R1000R)ですが、この画像を見ると、昔と今では前輪の使い方が大きく異なっている事が分かるように思います。後輪にだけ乗っているかのような昔と比較すると、こちらは前輪に覆いかぶさっていて、一輪車に後輪がついたかのような風情です。頭の位置を見てもらうと、各々後輪と前輪の上に位置する形になっており、印象的です。
このような前輪の使いこなしは、高性能のタイヤと車体をそなえてはじめて可能になったものだといえるでしょう。
さらに、2010年代にはABS・トラクションコントロールなどの電子制御の採用が一般的になり、その超高性能をさらに手軽に味わえる乗り物へと進化して今日に至ります。
現在のいわゆるレーサーレプリカは1000ccの車両が中心となっていて、世界の主要メーカーが競って技術の粋を集めたレーサーレプリカを市場に送り込んでいます。その性能は、公道用車両としてはもちろん、スポーツバイクとして見ても、あるいは単に公道を走れる乗り物としても、もう驚異的と言う他ありません。異常なレベルだと称しても過言ではありませんが、その有り様がごく普通のものになっています。
タイヤさえ替えればサーキットを思う存分走れて、しかも公道も問題なく走れる訳ですから、スポーツバイクの最高峰として人気を博し、メーカー各社がしのぎを削るのも分かる気がします。
このような最高峰のいわゆるレーサーレプリカは、どういうふれあい方であっても、最高峰のものであるという感触を伝えてきます。おっかなびっくりで走ってもよし、飾っておくだけでも良しですし、もちろん走らせればどこをどう走っても底無しのポテンシャルで応えてくれます。果てはレースに出ることさえも可能jです。その為に作られた車両でもあるので、簡単なことです(費用はともかくですが)。
まさに究極のバイクで、どんな人でも、もし魅力を感じるのならこの種のバイクに触れる価値は大いにあると思います。特に近年のものは乗りやすさが一層向上しているので、走らせるだけなら非常に簡単であるというのも凄い所です。サーキットの夢を見ながら一般道をちょっと元気に走るのも悪くありません。抑制を効かせないととんでもない事になりますが、それもまた良しです。
個人的には、この種のバイクは己の限界を思い知らされるが故に、最近はあまり魅力を感じません。
上の画像は、とあるヘタクソが脂汗をかきながら肘を擦ろうとしているところですが、格好の悪い事に、全く果たせず終わった模様です。
私に言わせれば、高性能な乗り物で限界を追い求めると早々に自分の限界に突き当たって不快なので、そういう事はせずに乗り物任せに適当に我がままに走るのが一番です。それは非常に格好がいいというようなものではありませんが、地上最強レベルの究極の存在と普通の人間を無難にバランスさせると結局そうなるものです。
そういうときに、こうしたいわゆるレーサーレプリカも一応楽しいことは楽しいのですが、自分にとってはもっと楽しい種類の乗りものがあるのでレーサーレプリカは基本的に選ばないといったところですね。
しかし、いわゆるレーサーレプリカはいいバイクです。どんな人でも、どんな道でも、どんな走りでも世界一のポテンシャルで応える、底無しの果てしない夢を持った乗り物です。