パパ「あっ、アポロは寝てますね(笑) 

では、今日は大ちゃんとお話ししましょう」

 

パパ「大、大ちゃんいますか?」

 

大吉「はい、お父さん、こんにちは」

 

 

パパ「あっ!大ちゃん、元気にしていましたか?」

 

大吉「はい、元気ですよ」

 

パパ「以前にも話をしましたけど、また大ちゃんと話がしたくなりました」

 

 

 

 

大吉「うれしいです。ぼくもお父さんとお話がしたかったです」

 

パパ「そうなのですね。ありがとう。実はですね、この前、アポロと神様の話をしていました」

 

大吉「はい、その話をしているのを見ていましたから、知ってます」

 

パパ「そうなのですね。それで、大ちゃんにも神様のお話が聞きたいなぁと思いました」

 

大吉「いいですよ。ぼくが知っていることであればなんでもお話しますよ」

 

パパ「ありがとう。大ちゃんも以前にも言っていましたが、魂の学びということでこの世に生まれてきて、出会い、いろんな経験をすることで魂が学びをして成長をすることを繰り返すと言う事でしたね」

 

大吉「はい、そうです。そうやってぼく達は何回も出会っているのです」

 

 

 

 

パパ「でも、そうやって何回も出会っているのに、その記憶が無いのですよ。

これがとても残念です。

 

もし、記憶があれば、前はこんな失敗したから今度はこうしようとか、すぐにできそうなものではないですか。

 

どうして神様はそういうことをさせないで、記憶を無くさせてしまうのですか?

神様は意地悪なんですか?(笑)」

 

大吉「神様が意地悪なわけではありませんよ(笑)そういう仕組みにも意味があって、そうなっているのですよ」

 

パパ「どんな意味があるのですか?合理的に考えても記憶があった方が前回の失敗をすぐに取り戻せるのではないかと思うのですが」

 

大吉「それはお父さんが考える合理的、ということです。神様が見たら、それは合理的ではありません」

 

 

パパ「そうなのですか?では神様が考える合理的な意味って何ですか?」

 

大吉「まずは、その合理的という言葉をいったん脇においてください。

そして、ぼく達のこの世に誕生する意味を考えてみてください。何でしたっけ?」

 

パパ「それは、愛をたくさん感じて経験しましょう、そして、愛って何ですかということをたくさん体験することが、魂の学びの意味だということでした」

 

大吉「そうです。そうしたら、そのためにはたくさん感動があった方が良いわけですよね」

 

 

パパ「そうですね。そう思います」

 

大吉「だったら、もし、記憶を持ってこの世に誕生したらどうでしょうか?

前のことを覚えているわけだから、初めてのことにはならないので、出会ったときの感動は薄くなりませんか?

 

それに、こんなことを学ぶんだって解っていたら、簡単に課題をクリアーしてしまいそうではありませんか?」

 

パパ「まあ、確かに、数学の問題の答えを知っていて、数学の問題を解くのと、答えを知らないで数学の問題を解くのとでは、問題が解けて、その答えが合っていたときの感動は、答えを知らずに問題を解いた方が大きいですよね。

 

それと同じような感じなのでしょうか?」

 

大吉「お父さんらしい例え話ですね(笑)

この世の人間の感じで言えば、きっとそういうことに近いと思いますよ」

 

 

パパ「でも、魂の課題があるとして、その課題をクリアするのが生きる目的であるならば、前回のことを知っていた方が課題をクリアしやすいのではないですか?」

 

大吉「課題のクリアということが一番であれば、

そうなのかもしれません。

 

でも、最初に言ったように、課題のクリアということも、愛を経験しましたか、という中の一部分であるのです。

 

だから、課題をクリアすれば良いではなく、課題をクリアする過程の中で、どんな愛を経験したのですか?が大事になるのですよ」

 

パパ「そうなのですね。振り返ってみれば、

大ちゃんやチビちゃんと一緒に生活していて、気がつけば大ちゃんもチビちゃんも

いつの間にか老いて、シニア犬になっていて、その当時は介護をしているという感覚も全くなくて、

 

 

今までと同じ気持ちで毎日接していましたが

昔はこうだったなぁとかいろいろ思う事ができたのも、大ちゃんやチビちゃんと出会ったからだし、

 

『チビ!大のご飯を取ったらダメ!』とか、

『さて、大、そろそろ寝る時間だよ』とか言うことができたのも、

 

大ちゃんやチビちゃんがいたからそういうことができたわけで、それら一つ一つの思い出が、

今でも記憶にあること自体が今となっては嬉しい思い出になっていますよ。

 

 

でも、お父さんは大ちゃんやチビちゃんから、

たくさんの思い出をもらったから

それも愛って何ですか?の1つの経験だとしたら

 

大ちゃんやチビちゃんはお父さんから、愛って何ですか?の経験をもらえたのでしょうか?」

 

大吉「当たり前ですよ。ぼく達が長生きできたのもお父さんやお母さんがぼく達のめんどうを見てくれたからです。

 

それに、ドッグランにも連れて行ってくれました。

ドッグランはぼくにとって初めての経験だったから、とても興奮しましたよ。

 

 

 

 

それに、ぼくの目が傷ついて痛くなったときも、

病院に1か月も入院させてくれて治療をしてくれました。

もっとも、一度退院して、再度入院となったときには、ちょっとがっかりして、怒っちゃいましたけど(笑)」

 

パパ「そうでしたね。病院の先生が、大ちゃんが怒ってストライキを起こして、ご飯をひっくり返したって言ってました(笑)

 

それを聞いたとき、大ちゃんは家と病院の区別がちゃんとわかっていて、こんな未熟なお父さんであっても、病院よりは家の方が良いんだなぁって、嬉しく思いましたよ」

 

 

大吉「それはそうですよ。病院の先生もぼくのことをよくめんどうをみてくれましたけど、ぼくもチビもやっぱり、家が良かったんです。

チビなんて入院したとき、ぼくよりも堪えられなくて、1日でギブアップでしたよ(笑)」

 

パパ「そうでした(笑)病院の先生から、『チビ吉ちゃんは大ちゃんと違って病院にいると精神的に良くないようだから、入院は止めて通院にしましょう』と言われて、通院しましたから(笑) 

 

だから、いつも大ちゃんは我慢して偉いねって思ったんですよ。大ちゃんは我慢強かったですね」

 

 

大吉「ぼくも病院は嫌でしたけど、でも、ぼくのためだと思っていたので我慢しました。

必ず迎えに来てくれると思っていましたし。

 

それにお母さんが毎日、病院に来て、ぼくにご飯を食べさせてくれました。それがとても嬉しかったです」

 

パパ「そうでしたね。病院の先生が、『大ちゃんに朝ご飯を出しても、食べないでお母さんが来るのを待っているんですよ』と聞いたときは、嬉しかったですよ」

 

 

大吉「そうです。そして、生きていたときのそういう1つ1つのやり取りすべてが、愛を経験しましょう、ということになっていて、ぼく達はたくさん、愛を経験したのですよ。

 

それも、そういうことが起こる事を知らずにいて、そういうことが起こって、そういうことを感じて、こういうのがすべて感動になっているのです。

 

神様はそういう感動を得られる機会を作るために、前世の記憶は持ち越さないようにという仕組みになっているのですね。

お父さん、わかりましたか?」

 

パパ「はい、よくわかりました。そして、それは動物と人間、人間と人間、でも同じ仕組みで成り立っているのですね」

 

 

大吉「そうです。それがわかってもらえたら、今、いろんな嫌に感じることがあったとしても、それも経験で、その経験の意味は、愛って何ですか?を知るための出来事なんだと解るから、

 

だんだん、嫌に感じる事それ自体も減ってきて、最後は全てがこれで良くて、幸せなんだって気がつけるはずです」

 

パパ「そうですね。大ちゃんありがとう。

とても勉強になりました。ところで、大ちゃんとチビちゃんの写真があまり無いのですよ。

 

昔の『うつるんです』の写真だったり、ガラケーの写真は壊れるたびにデーター移行できなかったりで、今、あまりもっていないのがとても残念なのです」

 

大吉「そんなことを残念がる必要はありませんよ。お父さんやお母さんと一緒に暮らしていたことは、ぼく達の魂の経験として、しっかり記憶されていますから」

 

 

 

◆大吉から一言◆

 

ぼく達と出会った意味は

愛を経験するため

 

この世にいるのは

肉体という不自由な場所にいることで

いろんな出来事を感じることができるから

 

ぼく達の命の時間は

人間の時間よりも短いけれど

 

その時間の中で

たくさんの愛をもらいました

 

ぼくが病気になったとき

お父さんもお母さんも

心配して

真夜中でも病院に連れて行ってくれました

 

そういう1つ1つが

すべて

ぼくがもらった愛です

 

ぼくはそれを神様にお話しました

 

神様が、たくさんの愛を経験できて良かったねと

言ってくれました

 

ぼくは

お父さんお母さんに出会えて

ほんとうに良かったです

 

ありがとう