こんにちは!

世界一帰りたくなる家づくり

「DIYインテリアプロデューサー」の長野恵理です。

 

私が今まで生きてきたことのすべてが今の仕事に繋がってる!と最近つくづく感じていて、それを時々こうして書いているシリーズです。

 

もしここまでのお話にご興味があれば、

私のお部屋にまつわる人生の軌跡①

から順番にお読みいただけます。(ほんとに読みたい方がいれば。笑)

 

さて、大学卒業後の話です。

 

経済学を勉強しながら、インテリアコーディネーターの養成スクールに通い、インテリアパースを習い、海外でむさぼるように建物探訪をしていた学生時代。

 

その後、就職活動をして社会人になるわけですが、

私が大学生になった頃はバブルがはじけた直後で、就職する頃には『超就職氷河期』が待ち受けていました。

 

それでも大学の先輩や、見ず知らずの先輩(OBかな?)から大手企業へのお誘いがあったというラッキーな立場だったにもかかわらず、全部断って住宅メーカー1本で勝負していた私。

 

「どうしても住宅メーカーで働きたい!」

 

家も建てないくせにあちこちのモデルルームへ足を運び、この家は良い、この家でもいいか(上から目線)、この家はイマイチ(生意気な!)、などなど、建売住宅の研究家か!というような下調べをして、あちこちの面接を受けたのですが…

 

まあ厳しい。恐っそろしいほど厳しかった時代。

最後の最後で何とか名の知れた住宅メーカーに入れたからよかったものの、もしどこにも入れていなかったら・・・大学の先輩の誘いを断ったことを死ぬほど後悔していたかもしれません。

今思い出しただけでも寒気がする。(さすが就職氷河期)

 

でも、入社後は本当に楽しい思いをさせてもらいました。

今までお金を払ってインテリアの勉強をしていたのに、お給料をもらいながら住宅のことを教えてもらえるなんて、夢のようで。

文系なのに設計課に入れたので、設計と工事の間で事務仕事をしながら住宅構造やら設計のルール、現場の大変さなど色々なことも学ぶことができ、気分だけは設計士。(全然違うけど)

入社したての頃は、隣の部署のインテリアコーディネーターさんが華やかそうでちょっと羨ましいなと思ったのですが、お仕事内容を見るうちに「むむ?インテリア部門は私のやりたいお仕事ではないかもよ?」と思うようになったんです。(詳しくはまたいずれ・・・)

 

ちょうど阪神淡路大震災の後で、家を早急に立てないといけない方が多かった時期だったので、おかげさまで大忙し。

同期の営業の子たちはノルマもあってすごく大変そうでしたが、仲間と一緒に充実した生活を送ることができました。

(↑こんなお洒落なオフィスじゃなく、関西弁の飛び交う普通の会社です)

 

このままずっとここで働きたい!そう思った矢先に、なんてこった!という次なる転機が訪れてしまうのです。

 

またそれについては次回以降に書きますね。

 

今回はお部屋にまつわる話というよりは、住宅の仕事に初めて携わったときのお話でした。

 

続きにご興味があれば、また読んでくださいませ。