E10形蒸気機関車

 

国鉄E10形蒸気機関車は、かつて日本国有鉄道(国鉄)およびその前身である運輸省に在籍したタンク式蒸気機関車である。1948年(昭和23年)に4110形の代替機として製造されたもので、動輪5軸を有する。日本国内向けのタンク式蒸気機関車としては最大の機関車である。 また、日本で唯一、逆行運転を定位として設計・製造された蒸気機関車である

動輪5軸の4110形蒸気機関車。

4100形.. 奥羽線の輸送力増強のネックとなっていた庭坂・米沢間の33.3‰急勾配区間用として、E形軸配置のタンク機関車を試用することとなった。

普通の蒸気機関車は動輪が4軸まであり、C12形は半径80m以上、C62形で半径300m以上の線路カーブが必要!

4100形の動輪が5軸もあると、急カーブは曲がれないと思う?

5軸動輪の第1と第5動輪を3cm位横動させることで曲線通過が出来る。

ゲルスドルフ式機構の5軸動輪の第1と第5動輪を、ゲルスドルフ(Karl Gölsdorf:1861-1916)が考案したゲルスドルフ式機構で前後の動輪を横動させることで曲線通過ができるようになっている。

動輪5軸の構造は複雑で、急カーブを曲がれる構造になっている!

E10形機関車は煙突の有る方向が機関車の後ろになる!

4100形と4110形と同じく5軸動輪であるが、ゲルスドルフ式機構を採用して、線路のカーブを曲がりやすくしていた!

5軸動輪の4110形と相違点は先輪と従輪が設置され、ボイラーが大型化されボイラー径はD52形と同じで、牽引力は4110形の1.5倍に増強!

普通の蒸気機関車の運転台はボイラー火室の方向を向いて運転手は座る、運転席は進行方向の左側!

 

運転台はボイラー火室を背面にして運転!

製造数がたった5両であったため運転室のトンネル等での煙害、その恩恵を受けられた乗務員は、それほど多くなかった。

キャブフォワード式とは運転台の有る方向を前として運転する機関車!

青梅鉄道公園で静態保存されている、E10形2号機の前面

E10形2号機の後面、普通の蒸気機関車とは前後が逆です!

開発・製造

板谷峠の急勾配区間を抱える奥羽本線福島駅 - 米沢駅間では、大正時代製造の勾配用機関車4110形が戦後になっても使われていた。しかし長年の使用により老朽化が進み、また戦時中から続く整備不良や燃料事情の悪化、牽引力や速度などの問題で輸送需要増加に応えることが難しくなってきた。そこで、代替機関車として1948年(昭和23年)に製造された蒸気機関車が本形式である。

4110形の置き換えは過去にも検討されており、戦時中には国鉄内部で2-10-4 (1E2) 型軸配置のKE10形が設計されていた。1946年(昭和21年)には4110形を運用していた庭坂機関区で機関車の状態調査が行われ、同時に庭坂機関区からは、運転方向を逆向定位(運転台を前)としつつD51形程度のボイラーを備え、全長15 m以内、動輪上重量60 - 65tのE型ないしE1型タンク機を代替機とする要望が出された。当時、板谷峠は電化工事が行われていたが、電化工事はGHQから一時中止命令が出され、後に命令は撤回されたものの、その間にも4110形の老朽化は深刻なものとなっていた。このため4110形全数(庭坂機関区に25両配置)を置き換えるのではなく、電化完成までの繋ぎとして少数を製作することとし、先に設計されていたKE10形を元に庭坂機関区や車両メーカーからの意見を交え再検討した1E2型タンク機関車を計画し汽車製造に発注、5両(製造番号2445 - 2449)が製造された。本形式以降に登場した国鉄の新形式蒸気機関車はすべて改造によるものであり、本形式は純粋な新製機としては国鉄最後の新形式蒸気機関車である。

 

Wikipedia : 資料参考

 

GIG@NET

 

 

 

イベントバナーイベントバナー