京都鉄道博物館のメインは梅小路蒸気機関車庫!
梅小路蒸気機関車庫に動態保存や静態保存されている珍しい!蒸気機関車の紹介
B2010形蒸気機関車を他のSLと比べてみますと、SLの中では一番小さなB20形は
わずか7mの機関車です。最も大きいSLは特急や急行を牽引していたC62形です。
C62形の全長は約21mでありB20形の約3倍!動輪の直径はB20形が862mなのに対して、C62形は大人の身長ほどもある1750mだから2倍以上もある。
B20形(B2010)は梅小路蒸気機関車館に来てからは展示のみで動くことがなかった、
会館30周年目とJR西日本発足15周年にあたる2002年(平成14)年、
多くのボランティアさんの力を借りて、復活して動くようになりました。
昔鹿児島で働いていた時のように、甲高い「ピィぃー」という汽笛を鳴らしながら
動きだしたときは、皆喜んでいました。
戦時中の設計・製造ゆえに実用上問題が多く、余りに小さ過ぎたこともあって用途が極端に限定されたこともあり、車齢の若いうちに多くが廃車されたが、2両が保存され、うち1両(10号機)は現在自走可能状態である。B2010号機は梅小路蒸気機関車館にて動態保存。
これほど小さな国鉄機関車は明治時代以来で、極めて異例といえる。戦時中に規格生産された産業用機関車の一種であり、本線用の国鉄制式機関車の系譜とは、本来全く無関係の存在である。
鉄道記念日のイベントのために、動態保存のB2010号機の釜に火を入れて梅小路構内を
走りまわっていました。鉄道記念イベントとしてB2010号機と子供や大人が30人と綱引きを行った。
B20形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である運輸通信省(のち運輸省)が第二次世界大戦末期から終戦直後にかけて少数を製造した、主として入換え作業用の小型タンク式蒸気機関車です。
通常なら車両扱いされない「構内作業用機械」が、都合で「鉄道車両」扱いされて車籍を持った、という捉え方が、本形式の実状に近い(類似例としては、私鉄路線に接続する専用線での入換作業や、自社内での保線・除雪作業用のモーターカーの一部に、車両扱いされて車籍を持ったものがある)。なお、形式の「B20」とは、動軸2軸を有する(B型)の運転整備重量20トンの機関車という意味で、まさに産業用機関車の形式付与方法そのものです。
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梅小路運転区100周年記念セレモニー開催「義経」号が復活運転しました。
京都梅小路の蒸気機関車館にて2014年に開催されたイベント。
大正3年10月10日、「梅小路機関庫」として誕生した梅小路運転区は、大正の時代から現在に至るまで、主に蒸気機関車の整備を行い、鉄道の歴史を支え伝えてきました。
平成26年10月10日、100周年を迎え、記念セレモニーで「義経号」が復活運転を行いました。平成26年4月に大阪弁天町の交通科学博物館が閉館後に梅小路に運び込まれ、約半年間にわたって整備を行い、重油釜から石炭釜に戻し、石炭を焚いて「義経号」が「SLスチーム号」として17年ぶりの復活運転を行いました。
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「義経号」は石炭を焚いて復活運転。
梅小路に運ばれてきた、整備前の「義経号」。
大阪弁天町の交通科学博物館では鉄道記念物としてガラスケースの中に収められていた「義経号」
[☆7100形蒸気機関車「義経号」
JR交通科学博物館で動態保存されていた蒸気機関車「義経号」は、国際花と緑の博覧会会場内(1990年4月1日)に走行レールを敷設し乗客を乗せて走行しました。しかしこの時の燃料は石炭ではなく、重油バーナーで釜を焚き走行しました。
7100形1号機は北海道の原野で最初に走った蒸気機関車で、1880(明治13)年にアメリカから輸入されました。 1952(昭和27)年に鷹取工場で動態保存機として復元され、1991(平成3)年より交通科学博物館で保存展示されていました。
交通科学博物館が閉館後は梅小路蒸気機関車館に移転し動態保存され、構内にて運転展示されている。
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梅小路蒸気機関車館に新入りの蒸気機関車がありました。この蒸気機関車館の機関車たちは
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全部国産(後にアメリカ製7100形が仲間入り)でしたが、
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新入りの機関車はイギリス製で動輪2軸の1070形1080号機でした。
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新入りの機関車はイギリス製で動輪2軸の1070形1080号機でした
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新入りの機関車はイギリス製で動輪2軸の1070形1080号機でした。明治34製で日本では明治時代に東海道本線で急行列車を牽引する代表的な機関車で、1926(大正15年)に「1070形1080号機に改造され岐阜県の美濃太田機関区で活躍していたが、後に日鉄鈜業(株)の鈜山から産出される鈜石の運搬に1979(昭和54年)まで用いられていました。
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C58 1号機
お召し装備の蒸気機関車・梅小路機関庫より屋外に展示されたC581号機
C581号機は1938(昭和13)年汽車製造製。新鶴見機関区新製配置,大宮から横浜港方面への軽重量貨物などに使用されました。その後,千葉機関区に転じ,総武・成田・房総東・房総西線の客貨列車で活躍しました。
戦後は北海道,北見機関区に長く在籍し,石北本線北見以北,また釧網・池北線を中心に活躍しました。運転台前方の旋回窓,側面のスクリーン,ボイラードーム前の大型手すりなどに北見区時代の特徴が見られます。
お召し装備のC581号機は梅小路機関車庫で靜態保存
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