ワタシの子供は
今4歳と2歳です。
両方、男の子です。
子育てをしてると
面白いことは
昔の頃の自分と
いろんな事が重なること。
たまにフラッシュバックで
思い出したり
思い出されたりしながら
子育てをしております。
前にも、もしかしたら
少し書いたかもしれないけれど
上の子が、生まれた頃、
後ろのおじいさん(多分、ワタシの守護霊さん)が
寝てる上の子の枕元に
髭生やして長い杖もって、座っていたんですが
でも、その頃の私は、守護霊の存在を
あまり信じていなかったので
「あれは幽霊か?なんだ?」
と、ドキドキしてました。
今思えば、
色々な意味で、祝福してくれてたのかなと
思うわけです。
で、
つながった記憶がひとつ。
ワタシが、1才くらいの頃
まだ、歩くか、歩けるかの頃です。
ピアノの椅子につかまって
部屋を見渡すのですが
前に進みたくても、歩けない自分に
腹立たしさを覚えて、「むー!!」って
なってると
「歩け!今、歩かないでどうする!」
「立て、立つんだ!」
丹下段平ごとく、後ろのじーさんが
(その頃の記憶は、「声」だけです)
あおって、あおって
「くそー!あーーっ!もう!うるさい!」
ってなって
ワタシ、歩いた記憶があります。
何かをしようとすると、その声は
色々と教えてくれたり
ワタシも実際しゃべれないけれど
心で会話してたりしてました。
あと、
もっと記憶をたどって行くと
ねんねの頃の記憶。
目を開けても
視界がボヤーーーってなっていて
「くそ、見えない。何も見えない」
って、思っていると
「もっと目を見開いて」という声。
見開いても見えないんですけれどね。
視力ないし。
でも、日を重ねると徐々に見えてくるんです。
あ、今日ここまで見えた。とか
見えるものが、また増えてくる。
これが面白くて、感動だったり興奮でした。
5.6ヶ月くらいの子が、興奮してるように
手ぶん回したり、フガフガいうのは
あれまさに、そんなとき。
で、ワタシ
その時切に願ったことがあります。
「目は良いほうがいい!!良くなりたい!」
それでなのか、どうかわかりませんが
今じゃありがたいことに
肉眼で2.0あります。
あの時願ったおかげかしら?
なんてね。
でもいつしか
自分で考えたり、感じたりすることが
リアルで表現できるようになって
そして、親や人とのかかわりが、強く感じられるようになって
言葉として、気持ちを囁く心が開通してしまうと
声は、いつしか聞こえなくなってしまいました。
まあ
そんなこんなで
ワタシの息子たちも、赤ちゃんの頃
きっと、彼らにしか聞こえない何者かに
あおられながら、会話したりしてるんだろうなと。
そして切に願ったり、欲求を心で囁きながら
物をつかんで遊び始めたり、歩き始めたりとか
してるんじゃなかろうかと
ちょっと思うわけです。
上の子が2歳頃
「ひろしまにすんでいる、もりのいっぺいくん」の話を
良くしてくれていたけれど、4歳になった今
そのことを、まったく忘れているので
もう聞こえなくなっちゃったのかな?と思ってます。
下の子は2歳だけど、なかなかしゃべれない彼は
きっとまだ、色々聞こえてるはず。
今だけのときを色々観察してみようと思います。
今4歳と2歳です。
両方、男の子です。
子育てをしてると
面白いことは
昔の頃の自分と
いろんな事が重なること。
たまにフラッシュバックで
思い出したり
思い出されたりしながら
子育てをしております。
前にも、もしかしたら
少し書いたかもしれないけれど
上の子が、生まれた頃、
後ろのおじいさん(多分、ワタシの守護霊さん)が
寝てる上の子の枕元に
髭生やして長い杖もって、座っていたんですが
でも、その頃の私は、守護霊の存在を
あまり信じていなかったので
「あれは幽霊か?なんだ?」
と、ドキドキしてました。
今思えば、
色々な意味で、祝福してくれてたのかなと
思うわけです。
で、
つながった記憶がひとつ。
ワタシが、1才くらいの頃
まだ、歩くか、歩けるかの頃です。
ピアノの椅子につかまって
部屋を見渡すのですが
前に進みたくても、歩けない自分に
腹立たしさを覚えて、「むー!!」って
なってると
「歩け!今、歩かないでどうする!」
「立て、立つんだ!」
丹下段平ごとく、後ろのじーさんが
(その頃の記憶は、「声」だけです)
あおって、あおって
「くそー!あーーっ!もう!うるさい!」
ってなって
ワタシ、歩いた記憶があります。
何かをしようとすると、その声は
色々と教えてくれたり
ワタシも実際しゃべれないけれど
心で会話してたりしてました。
あと、
もっと記憶をたどって行くと
ねんねの頃の記憶。
目を開けても
視界がボヤーーーってなっていて
「くそ、見えない。何も見えない」
って、思っていると
「もっと目を見開いて」という声。
見開いても見えないんですけれどね。
視力ないし。
でも、日を重ねると徐々に見えてくるんです。
あ、今日ここまで見えた。とか
見えるものが、また増えてくる。
これが面白くて、感動だったり興奮でした。
5.6ヶ月くらいの子が、興奮してるように
手ぶん回したり、フガフガいうのは
あれまさに、そんなとき。
で、ワタシ
その時切に願ったことがあります。
「目は良いほうがいい!!良くなりたい!」
それでなのか、どうかわかりませんが
今じゃありがたいことに
肉眼で2.0あります。
あの時願ったおかげかしら?
なんてね。
でもいつしか
自分で考えたり、感じたりすることが
リアルで表現できるようになって
そして、親や人とのかかわりが、強く感じられるようになって
言葉として、気持ちを囁く心が開通してしまうと
声は、いつしか聞こえなくなってしまいました。
まあ
そんなこんなで
ワタシの息子たちも、赤ちゃんの頃
きっと、彼らにしか聞こえない何者かに
あおられながら、会話したりしてるんだろうなと。
そして切に願ったり、欲求を心で囁きながら
物をつかんで遊び始めたり、歩き始めたりとか
してるんじゃなかろうかと
ちょっと思うわけです。
上の子が2歳頃
「ひろしまにすんでいる、もりのいっぺいくん」の話を
良くしてくれていたけれど、4歳になった今
そのことを、まったく忘れているので
もう聞こえなくなっちゃったのかな?と思ってます。
下の子は2歳だけど、なかなかしゃべれない彼は
きっとまだ、色々聞こえてるはず。
今だけのときを色々観察してみようと思います。