クレーム・デヴィのインド奮闘記

クレーム・デヴィのインド奮闘記

1995年から南インドのケララ州に住み、旅行会社を営んでいます。
旅人の目には魅惑の国インドも、住んでみると大変なことの連続です。
しかし、愛するファミリーが住む国、ここで骨を埋める覚悟で、
インドの良い面、悪い面を紹介していきます。

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『旅するインド、住むインド』  *自宅待機も結構ストレス編*

 

10/9に羽田に着いて、3日間の検疫の隔離の後、都内にある主人のアパートに移動、

隔離施設では最後の日の朝(3日目の朝7時前にスピーカでアナウンスがあり、今から部屋の前にRT-PCTテストのキットを置くので、

名前を確認した後(既にラベルが貼ってある)唾液を線まで入れて、7:15amまでに各部屋で検査官が取りに来るまで待てと・・・

陰性の人は、2時半には羽田に専用バスで移動し、解散、各自手配の車で自主隔離の宿泊施設へ移動する。

 

7時半にはすべての検体は集められ,ここで、結果が陽性ならどこに連れて行かれるのだろう・・・と怯えながら結果を待つ。。。。

12時頃、二人とも陰性との事で、胸を撫でおろす。。。2時頃、また各係の人が部屋まで迎えに来てバスへ移動。

どの係りの人も親切で、久しぶりの帰国を再度実感する…日本人は本当にサービス精神が行き届いていると言うか訓練されている。

失礼なスタッフに出食わすことは少ないだろう・・・・インドは真逆だものね。。。。いつも、”俺様がしてあげてるんだよ。。。”と言う態度の人が多い。昔昔。美容院で髪を洗った後,”こっちに来い!”と言われたのには驚いた。それ以来その美容院行っていない・・・・。

 

さて、都内にある主人のアパートに移送したものの。さらに10/23までは隔離機関、全く外に出れない・・・(出る人もいるようだが、私はこういう事の関しては異常に真面目なので出ない・・・)食べ物もできるだけデリバリーを頼めと言う。。。でも、毎日デリバリー頼んでいたら食費が嵩むよ。

 

幸い主人のアパートには主人の会社のスタッフが住んでいるので食べ物は彼女は買って来てくれるし、先週土曜日はケララのチキンカレーとヴェジタブルプラオ(野菜のピラフ)とトーレンとメルクワリティ(ケララの野菜料理)作って来てくれた。彼女も主人と同じ南インドケララの出身である。帰国して1週間でケララ野ご飯に喜ぶとは私ももうかなり洗脳されているね。。。

 

前回の投稿で、検疫のトラッキングンついて書いたが、これが徹底してて凄い!けれど辛い!

 

毎日一度はAIのビデオCall,その際30秒間、自分の顔をセットして送らねばならない。

1日2回現在地報告、居場所確認のためブザーが鳴る。鳴れば現在地報告のボタンを押す。応答しなければすぐに”待機場所に戻って下さい!”のメッセージが来る。これが気味悪い。真面目に自宅待機してるのに寄りにも寄ってトイレに入ってる時とか、友達と電話してる時にかかる。違反したら外国人の場合強制送還、日本人の場合名前を出すと科の規約がある。

そして一度だけ相手は見れないが、直接話すビデオコールもあった。

後は毎日の健康状態報告。。。。これはこちらから送信するだけなので楽だけれど・・・

 

本当にこの3つに結構振り回される気分だ。1日何処も出れないので、パソコンに座って仕事して、TV見て(日本のTV番組は面白くない・・・)洗濯して、掃除して1日が終わる。。。お陰で運動不足て、10日で1.5kg太ってしまった。

せめて1日1回、誰とも接触しなければ散歩くらい行っていいですよ。。。と言って欲しい。。。

 

それと、一人で過ごすのも辛かろうが、私の場合、1日狭いアパートで、主人と一緒にいなくてはならない。朝から晩まで一緒にいたい!なんてこと、新婚時代以来ないので、これも結構堪える。なんせ会社の社長さんだし、口から生まれてきたような人間だから、朝起きてから寝るまでパソコンを前にして、ず――――と誰かと話してる。インドの家は広いので、他の部屋にいれば彼の声を聞くくことはないし、日中は会社だから声を聞くくことはない。が、今は狭いアパートなのでどこにいても”あまりいい声ではない主人の声”が聞こえるのである。

その声が耳障りで、うるさくで、でも、お陰で主人の会社のトラブルとか経営状態とかこの2週間でよくわかったよ。

 

とにかく、あと3日、出発前に、その上、東京で大きな地震があったので、古いマンションの7階に閉じ込められた気分の隔離措置も緊張感が倍増して本当に辛かったが、それもあと3日、完了したら焼き鳥を食べに行きたい!!!

 

そういう訳で、かなり堪えてはいるが、水際対策はこのくらいしてくれた方が安心だとは思う。今回の措置は辛いが国民のためにはいい。ありがたい事だ!

 

そして、やはりコロナが続く限り、ビジネスでも、プライベートでも国と国の行き来は暫くはとても大変!

動かない方が経済的にも精神的にもBetterである。私ももうしばらく帰国なんて考えないよ!!!

 

 

 

 

 

『旅するインド、住むインド』
*2021年,秋、とにかく疲れた一時帰国、でも水際対策政府頑張ってるよ!編*
 
インドに移り住んで25年、通常5月の一番気候のいい時期に帰国するが、コロナのお陰で調子が狂って、今年も昨年に引き続き、秋、10月に一時帰国する事になった。いつも使っているシンガポール航空やスリランカはまだ動いていないので
昨年はJALで、今年はANAで、コーチンからデリーに飛んで、デリーから羽田のフライトである。料金も通常の2倍、それでも昨年の通常の3倍よりはましである。
さて、昨年は、入国審査は通常より面倒だとは言えども、水際対策としてはさほど厳しくなく羽田到着後、4つの部屋を移動((説明、RT-PCRテスト、問診、結果待ち)を経て入国審査、その後、一般の交通機関を使わず自分で準備した車またはタクシーで自主隔離のための自宅もしくはその他の宿泊施設に移動で、入国の際電話番号は聞かれたものの検疫から電話が来たのは1回だけだった。
が、今年は去年より念入りな入国手続き、移動する部屋も7つくらいあった。まずは入国に当たって準備する書類も去年より多く、去年は外国人は搭乗時RT-PCRの検査証明は義務ずけらていたのに、日本人必要なかった。でもこれはおかしい…日本人でも感染してる人はいるのに調べず搭乗させるのは納得がいかない。だから私と娘はちゃんと搭乗の72時間前にRT-PCR検査をした上、コロナの症状ではないではないですよ。と、かかりつけの内科医に私の過敏性大腸炎、娘のアレルギー性鼻炎の診断書も書いて貰って持参したが、見せる機会もなかった。
が、今回は到着前と到着後、下記の5項目が必須だった。
1.検査証明書の提出(政府指定の所定のフォーマットに記入)
2.検疫所が確保する宿泊施設での待機・誓約書の提出
3.スマートフォンの携行、必要なアプリの登録・利用(到着前に携帯にインストロール)
4.質問票の提出(出発前にネットで記入して提出、返信されてきたQRコードのコピーをプリントして持参
5.ワクチン接種証明書の「写し」の提出
詳細は下記のサイト参考
 
書類の準備も大変だったが、今年は国によっても違うが、検疫所が確保する宿泊施設での待機も義務付けられていて、私は10/9にインドから日本に着いたので、最初の3日間は検疫所が確保する施設に滞在した。
私が滞在した宿泊施設は比較的広くて良かったが、中には狭いビジネスホテルもあるらしい。が、他の人に聞いてもどの施設でも3度の食事は美味しくて、かつ施設のサービスも良くて、逆に申し訳ないくらいだった。そして、3日間の検疫所の3日目には再度RT-PCRのテストを行い陰性の人は、一旦空港に戻り、空港で解散、公共機関を使わず、それぞれ各自で手配した車での宿泊施設に移動して、さらに11日、ゆえに私もあと1週間10/23まで自主待機である。
そしてこの間、毎日インストロールしたアプリで検疫所から連絡が入る。毎朝の体調報告、毎日の居場所報告、AIによるビデオコールが毎日アトランダムに一回、これは必ず自分がどこにいるかを証明するためにバックグランドが見えるように配置して録画される。さらに時にビデオコール、これは相手は見えないが検疫所の人と話す感じだ。外に一歩も出られる上、誰かにいつも監視されてる気分でこれが結構メンタルに堪える。今回はもう帰ってきてしまったので仕方ないが、毎回これだけのことをせねば帰国できないのであれば、もうしばらくは帰って来ない方がいい・・・が本音である。
 
ただ、今回の入国に関する水際対策、政府は実によく頑張ってると思った。空港でお世話をして下さる方々(一人の到着に一人のスタッフがアシストする感じだった)ホテルのスタッフ、毎日飽きぬようこ心配りのある食事、人件費もホテル代もかかるであろうし、日本政府にも、携わる方々にも感謝の気持ちで一杯である。
写真は、日本の空港は撮影禁止なのでデリー空港(デリーも撮影禁止かな?)お弁当は検疫の隔離施設で毎日運ばれてきた皆に好評のお弁当。心がこもっていておいしかった。お弁当には店の名前と電話番号が書いてあったので追ってお礼を言おうと思っている。
では以上、私の帰国時の検疫のの報告である。これから帰国する人、参考にして頂きたい。
そして、ワクチン接種の影響か、ウィルスも生き延びるため人間の体に対応し始め、威力が弱くなってきてるのか、世界的に感染者の数は少なくなっている気はするが、嵐の前の静けさかも知れないので、油断大敵だ。サイエンティスト達もコロナは無くなることはないと言っているので、今回の様に水際対策を厳しくしたり、3つの法則を守る事を忘れず、上手にコロナと共に生きていくしかないが、少しでも海外の行き来がスムーズに楽になる日を待ちわびたい。
 
 
 
 
『旅するインド’住むインド』
15年間の感謝の気持ちを込めて・・・
ケララに縁のある人たちの思い出と紹介シリーズ、パート④グルメ編
 
*『ゼロワンカレーA.o.D』(立田侑志氏)*
 
2019年秋に大阪から2人の女性客をお迎えしていた。美大卒のお二人、芸術家とこともあってから食べる事が大好きで最後には我が家のランチにお招きした。その彼女たちと話をしていたら大阪に*ゼロワンカレー*と言う超美味しい南ンドレストランがあったのだけれど東京に移ってしまって残念!と、以前、他のお客様で同じくゼロワンカレーの事を言われる人がいて、ここはカレーの味は勿論のこと、奥様が作るデザートも美味しい!と。。。。ゆえに彼女達からまたゼロワンカレーの話を聞きながら、いったい美味しい南インドと作るシェフとは何者ぞ?と考えていたら、このお二人、“あれ?ゼロワンのオーナーさん、真美さんのこと知ってますよ!”と言う。。。それを聞いて色々話していたら、なんだ料理武者修行に来た立田君じゃないか!と気が付いた。
立田君がケララに来たのは2014年2月か3月だったと思う。我が社の特別企画料理武者修行の参加者だった。彼は、南ンド食べ歩きの旅の途中で、短期であったが、Cochinでも食事が美味しいので有名なお洒落なブッティックホテル、Old Harbour Hotelで修行した。到着が深夜であったので、わが社のスタッフが迎えに行き、その日は、わが社社員寮に泊まって頂いた。迎えに行った若い日本人のスタッフが、”なんか…怖い感じのお客さま・・”と言う。翌日私も立田君に合って、本当に怖い感じ。。。と、笑い出しそうになったが、話してみるとシンプルでピュア、腰が低い!Old Harbourのオーナーさんが見かけは怖いのだけれど、心は白雪姫と私は読んでいて、私が料理武者修行も受け入れ先を頼むといつでも気楽に引きけてくれる。立田君も彼と同じ感じの人だ。人は見かけに寄らないの証明!
そして、立田君はとても手が掛からない人だったので(武者修行に来る人はとても手がかかる人も結構いる・・・)私も厨房に入れ込んだもの放ってい置いたし、大して世話をする事もなく、いつの間にか短期修行は終了して、食べ歩きの旅に出かけて行った。帰国後も“週に何日か厨房借りてレストラン始めました!”と言う連絡は受けてはいたがそれが人気のレストランになっていたとは知らなかった。
そういう訳で、今回の帰国時、実は武者修行の参加者だったこの立田君の店にも行って来た。
お店は駅からさほど遠くもなく、暗がりの中にひときわ明るいブルーの店、店の看板はケララ州の言語、マラヤラマ語で書かれていたし、店の中には南ンド料理ファンには有名な武田氏の絵が描かれていた。店内はこのコロナの時期だと言うのに満席に近い。大繁盛だった。
入り口には馴染のケララ料理のメニュー、周囲のみんなほとんどミールスを食べていた。私もミールスを注文!ミールスにワダも付いてくる。ワダだけでなく、大好きな南ンドのスナック,ベルプ―リなども付いてくる!規制のミールスではなくて、盛り沢山が嬉しい。そしてどの味もなかなかのもの。特に南ンド野菜のカレ―サンバルは美味しかった。本場の味を再現していた。
ミースルは盛り沢山でお腹いっぱいになってしまっていたが、立田君のサービスで魚のカレーまで出てきた。もう満腹で死にそうであったけれど、評判の奥様のデザートもしっかり食べた。これも評判通り美味しかった。
と言う分けで、ゼロワンカレー、南インド在住25年の私が美味しい!と言うのだから、お勧めですよ!
それにしても、私の企画に参加した人たちがこうして店をもって、その上繁盛してるのを見るのは嬉しい!
私があまり写真をそれなかったのでメニューについは下記のブログを参考の事、実に良く書いてある。
そして、立田君は昨年からコロナの影響でスパイスと作る農家の経済状態にも心を痛めてくれてクラウドファンディングでケララのスパイスを作る農家の為にお金を集めて寄付もされている。
自分のビジネスの事だけでなく、それを陰で支えている人々の事も考える。
そんなわが社料理武者紙業の参加者、立田君と可愛い奥さん桃子さんの店、『ゼロワンカレーA.o.D』是非ぜひ一度足を運んで下さい!
ゼロワンカレーA.o.D(ZERO ONE CURRY A.o.D)
住所東京都港区三田3-2-9 杉浦ビル1F
電話番号 03-6722-6380