昔’90年~’91年頃の「月刊カドカワ」に佐野元春が活動を綴ったコラムを
載せた「TAKE BACK GOOD」からの抜粋を 別冊 カドカワ
音楽評論家の萩原健太氏が掲載した一文 

ポタリングしたい!!-別冊 カドカワ


>自分の言葉や音や映像を持つためにはやはり手本が必要だ。
 本やレコードやヴィデオに接するということは、自分のなかの言葉や
 音や 映像と向かい合うことでもある。僕は、言葉の達人が、音楽の
 天才が、映像の 専門家が、それぞれに披露する業を発見する。
 それは楽しい。同時に、同意と反論 が生まれる。同意は感動を
 呼び、反論は新たな創意を呼ぶ。

 生まれて初めて 恋をして、 キスの学習をするのと同じように、
 僕は言葉や音や映像の学習をする。 僕は自分の言葉や音楽や
 映像を持ちたい。戦うわけではないが それらは武器になり得る。
 精神的な武器を持って自分を守り抜く ことが街に暮らす者の流儀だ。
 街に暮らしながら裸の聖者でいるのは難しい。

 目に見えない権力は言葉や音や映像を持っていない者たちを好む。
 なぜなら 彼らはコントロールしやすいからだ。お金を価値判断の
 基準とする人々は 言葉や音楽や映像を恐れる。なぜならそうした
 ものはお金では買えないからだ。
 
 言葉や音や映像の知恵に溢れた生活は、きっと快適に違いない。
 少なくとも、 メディアが 提唱する絵にかいた餅のような
 「快適な暮らし」よりはマシだろうと思う。
 だから明日もまた僕は街に出る。<


イイ文章だと思う 的を射ている 自分も今まで無防備だったので
これからの生活のなかで 沢山のモノを吸収しようと思う
だって街や世の中には 多くの言葉・音楽・映像という宝物が
溢れているのだから...